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2019年1月16日 (水)

文系学問の実用性に関して

 今朝の朝日新聞に文系学問の力に関する議論が載っていた。私は、大学は工学部で修士まで行ったが、今はどちらかと言うと社会科学や哲学の勉強を主にしている。これは、仕事の必要上文系の学問をしたということであり、エンジニアの分野でも文系の力は必要と言える。
 しかし、今の大学の文系の学問が本当に必要かということは、色々と疑問がある。
 まず私の言いたいことは、変に文系学問が科学的になっているということである。確実なことしか言えない。このため文献などの証拠至上主義になっている。このため、見逃されているのが総合的な観点での議論である。実用性を求める場合には、ある程度の蓋然性で動いて、総合的な検討をすることが望ましい。
 この話の一番の例は、梅原猛流の歴史観の扱いであろう。
先日、逝去された『梅原猛という知の巨人』は、独自の視点で大胆な仮説を提案している。このような活動ができれば、哲学も実用化と言えるだろう。しかし、これが受け入れられ難い学問世界になっているように思う。
 もう一つの例は、高根正昭が「創造の方法学:講談社現代新書」で指摘した、日米ヴェーバー研究者の比較である。日本の学者は、ヴェーバーがどのページでどういったという議論ばかりしている。アメリカの学者は、彼の方法論を使って、日本の資本主義に関して「石田心学の影響」で議論する。この違いは大きい。
 このように考えると、学者より小説家の方が良いという議論も出てくる。この点に関しては、少し困った例もあるが、ある程度は賛成できる面もある。
 
 理系が有利と言っても、実際は工学部が主体である。このようなモノづくりの総合的な観点での議論が就活などで有利になっていると思う。
 

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