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2019年2月26日 (火)

使える道具による思考方法の変化

 プラトンの「国家」の一つの主題は、
  「詩人から哲学者に教育の主体を移す」
である。
 この問題に関して、思考手段という観点で、少し議論してみたい。
 私が感じている問題点は、
  「紙などの記録手段が、容易に入手できる場合と、できない場合の違い」
である。
 もう少し言えば、
  「誰でも文字が読み書きできるかできないかという状況の違いである。」
つまり、文字の読み書きができなければ、
  「暗記することが重要になる。」
  「暗記に便利なのは口誦が容易な韻文である。」
その結果
  「詩人による伝承」
が主体になる。
 もう一つ、このような暗記型の伝承では、
  「一気に全体イメージを伝える」
ことになる。これは自然と総合的な思考形態になる。
 一方、文字に書いて伝承したり、議論したりすることができれば、一つ一つの部分を切り取って、細かい議論ができるようになる。細部に対する精密な議論が育っていくようになる。これがプラトンの言う
  「哲学者の考え方」
であろう。表音文字なら、誰もが読み書きできるので、文字で書いたものを対象として議論が進むであろう。
 マクルーハンが、アルファベットを重要なメディアといった意味がよくわかった。
 

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