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2019年2月13日 (水)

権力について解ってきたこと

 権力について、新しく思いついたことがあるので少し書いておく。
 まず権力というものの必要性である。これは、人間集団において、色々なもめ事が起こったときに、
  「双方納得する解決が得られないときの決定機関」
として、必要なものである。もしこれがないと戦いという形になり、お互いの不和が全体の滅亡にまで至る可能性がある。このように考えると、いわゆる
  「権力者のための権力」
ではなく
  「皆の生存のための権力」
が必要ということがよくわかる。
 さて、この権力の土台は何であろう。私はこの土台を以下のとおりに考えた。
  1. 神などの絶対権力により与えられたもの
  2. 皆が必要に応じて作り上げたもの
このように考えると、儒教やキリスト教は1の『絶対神からの権力』に便利な宗教である。一方、仏教は本質的に権力から距離を置く体質がある。出家だから政治にもかかわらない。
 しかし、日本では聖徳太子が仏教を政治に組み込んでいる。確かに法華経を読めば、
  「仏の智慧で理想の国土を作る」
という解決もあるように思う。全てのことを知る仏の智慧、これが人間にも到達できるというのが、法華経の教えである。これを考えると、皆のための政治ができる。これは、2.の大衆から支えられた権力の一つの形だと思う。
 しかし、現実にはこれは難しいと思う。そこで権力と説得のバランスが政治には求められてくる。どこかでは権力で押し切る必要もある。これが理解できていない人が多いように思う。
 このように考えると、昔ある将軍が、土地問題の裁定時に、
   「半分に直線で割った」
ということで批判されていた。しかし、将軍という最高権力まで来たら、このような裁定しかできないだろう。権力の発動の前には、相互の意見を聞き納得させる努力が必要である。最後の段階は直線で割ることも必要になる。
 このように、権力とその前の段階がきちんと理解できていない人が多いように思う。
 大阪市の校長の評価を、テスト成績で見るという話も、それ以前に教育委員会などが、きちんと評価し処遇していれば、市長の強権を使う必要もなかったと思う。
 ましてや、個別の保育所の話を、国会で総理大臣に質問するなど、もう少し政治の構造をきちんとすべきではないかと思う。

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