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2019年2月23日 (土)

#員数合わせ をもう少し考えてみた

 昔、『員数合わせ』について書いた記事がアクセス数を稼いでいる。
 この問題について、近頃考えていることもあるのでもう少し議論を深めておきたい。
 まず、『員数合わせ』はどのようなものか
『員数合わせ』は、山本七平が旧日本陸軍の内部の状況を記述したときに使った言葉で、
「実体がないのに数だけそろえる」
という状況を言う。なお、山本七への著作の中では、他部門から無断借用してでも、上官が見たときに「数をそろえる」行為を含んでいる。
このような感じで、「空虚な数だけ」と言う、悪い意味で書いている。
 しかし、この『員数合わせ』が色々な所で役に立っている。前に書いたのは、『恫喝外交』の舞台である。武力を背景にした外交では、戦力の大小を比較するのに、どうしても『数量的な比較』が中心となる。そこでは、『質よりも量』が有効であり、員数合わせも効果が生じる。
 
 さて、現在で『員数合わせ』が力を発揮する舞台があるだろうか?実は、多くある。多数決を土台とする政治の世界などでは、『員数合わせ』が重要な手段になる。例え、昔ぼろくそに言っていた政党のある派閥に入れてもらうような、無節操議員でも、選挙に勝てば国会の一議席である。このような、数だけでの議論が行われる世界では、『員数合わせ』が多くなる。
 ここでもう少し、社会現象として『員数合わせ』を見てみると、一般的な特性が見えてくる。
ある程度、その社会の制度が決まり、ルールができたとき、そのルールが独り歩きし、形骸化すると、員数合わせが重要になってくる。
これが、員数合わせの本質ではないかと思う。旧日本陸軍においても、日露戦争までは、自力で戦ったから、皆が現実感を持って考えていた。しかし、その後戦争体験が薄くなり、机上の検討ばかりになると、規則が形骸化してきた。
 本当に自分が戦うなら、装備の質にこだわるだろう。しかし、戦わなくて、上官の見ているときだけなら、『員数合わせ』に終始するだろう。
 このような現実離れが、『員数合わせ』の一つの原因となる。逆の発想なら、『員数合わせ』が生じるのは、組織としての完成度が高くなった証拠かもしれない。

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