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2019年3月22日 (金)

現在の『悪』の根源は何か?

 先日から書いている、反省の話に関連して、現在の『悪』の根源について考えてみた。
仏教ならば
 私が昔から作った、諸悪行は、貪瞋痴から出たものである
と言っている。つまり、貪欲・瞋恚(怒り)・愚痴ということである。
 6世紀ぐらいまでで考えてみると、まず食べるの困っているので、その奪い合いということで、貪欲の罪が起こる。そしてお互いが、怒りの心を持ち恨み復讐したり、妬んでも襲うようなこともあるだろう。更に、自ら働くということを知らず、他の人のものを欲しがるという愚痴も罪の原因になるだろう。
 しかし、これを現在に持ってくると、これだけで罪の原因が解るのだろうか?
 もう少し言えば、
   「現在の社会制度が作る罪」
というものを考えるべきではないかと思う。
 現在の社会制度では、色々な強制が入っている。学校教育などが、その典型である。強制的に通わされて、人間関係も強制される。
 その中の秩序に従わないと罰せられる。更に、知識の量で評価され、序列化される。その競争の中で、また争いや妬みが生じる。
 このようなものが、ある種の悪の原因になっている。
 しかし、学校教育の効果自体を完全に否定してはいけない。多数の人が、この知識により多くのことができるようになり、全体としての社会は旨く動いているのである。少なくとも、私たちは水道や電気の恩恵を受け、食事の供給もそれなりに得ている。これを生み出したのは、西洋文明に追従できた、日本の教育システムのおかげである。
 これを完全に否定してはいけない。しかし、ここから生まれる罪にも対策を考えていく必要がある。これをどのようにバランスをとっていくか、まさしく多様化の時代である。

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