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2019年3月20日 (水)

本当に現場の痛みを知っているのか

先日の朝日新聞記事に、「災害トリアージ、ミスの責任問えるか 法制化を議論へ」
https://www.asahi.com/articles/ASM3F4S3NM3FUWPJ004.html
という記事が載っていた。
この問題の法制化が遅れていることは確かである。
しかし、私はもう一つ大事な側面があるように思う。
それは、
  「トリアージを実施した人の心的負担に対するケア」
である。
 トリアージというものは、有限資源の優先度付けであり、本質的に切り捨てられる人の存在を考える必要がある。そして、切迫した状況での判断であるために、常に間違いの危険性があり、決断する人間尾プレッシャーは大きい。しかも、人手も限られているので、医師免許のない看護師なども対応している。
 このような厳しい状況で行うトリアージのミスに対して、マスメディアなどが追及する。これは、実施した人に対して「心の傷」を与える可能性がある。
 このような議論がないように思う。
 考えてみれば、哲学者ならこの問題を「トロッコ問題」の応用というかもしれない。そして、
  「このような状況で、多数のために少数の犠牲を平然と行うサイコパス」
というラベル貼りを行う可能性まである。
 しかし現場の人間は苦悩しているのである。迷いながらも、限られた資源で決断する。この悩みを理解できない『サイコパス』が
  「サイコパスというラベルを貼る」
状態になっているように思う。

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