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2019年3月15日 (金)

多面的なモノの見方が大切ではないか

 先日、NHKの「大江戸」の再放送を見た。これを見て思ったのだが、江戸時代の制度にはいろいろと良いモノがあった。特に、大商人たちが主体の「助け合い」のシステムは、西洋文明とは異なる、市民自治の形であると思う。
 一方、上水道を完備した江戸の町の清潔さは、当時のヨーロッパの年より優れていたと思う。ペスト大流行のヨーロッパの都市を思いおこせば、江戸の清潔さがいかに優れているのかよくわかる。
 しかし、その裏側には、大火に見舞われる、都市構造の弱さもある。石造りのヨーロッパの都市なら、これほど大火の被害はなかっただろう。その代わり、高層階の窓から排せつ物を投げ捨てるために、病気が蔓延する。日本人は、厠ができないから、2階建ての家すら抑えていた。そして、下水処理場ができない限り、汲み取り式の便所になっていた。一方、ヨーロッパの石造建築は、高層階のトイレを作ると、直ぐに下水に流すが、その下水は川に直結していた。
 このように考えると、ヨーロッパ文明は、自分たちの限られた範囲での快適さを求めている。一方、日本の場合には周囲へのある程度の配慮が見えている。
 ここで大事なことは、限られた範囲で集中することは、一時的には技術的な進化が得られることが多いということである。
 こうして幕末から明治の日本人は、西洋文明が優れていると信じ込み、全て西洋的にという風に突っ走ってしまった。
 しかし、社会制度の中には、江戸時代の発想も『よいモノがある』と、認めることも大事ではないかと思う。西洋文明的な、単純な進化論を社会制度に当てはめること、これが大きな弊害を生んでいるように思う。
 

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