心を込めた作品の力
昨日書いた人間を描く力と学問の関係 に関連してもう少し考えてみたい。
現在の学問は、メディアの変遷に大きく影響を受けている。具体的に言うと、
従来の文字情報主体の議論から、スマホなどによる素人画像による議論が強くなってきた世論の変化がある。つまり、議論を「文章がきちんと書ける人の独占」->「誰でも発信でき評価できる」というう風に大衆化している。そのため、教育に関しても、できるだけ画像情報を使うことが必要になってくる。
この観点で考えると、
「学習漫画のシェアが増えている。」
というのは必然の結果であると思う。
さて、昨日私が書いたブログに関して、Twitter上で相河柚希さんと少し意見の相違が出た。彼女のコメントは、
アート漫画は「問題提起」
学習漫画は「解答と解説」
であり、そもそも違うということである。
確かにそのような面もある。しかし、私が感じることは
「筆力ある人が描く人物は違う」
ということである。学習のために描いたものでも、その中の人物が生きてくるということは、やはり作者の力がこもってくるからだと思う。なお、歴史的に見れば、現在の文化財となっている、宗教画、例えば各種の地獄極楽画(~~まんだら)は、当時としては教育用の資料であった。これが現在は立派な芸術作品として評価されている。このような観点もあるのではと思う。
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