ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« 多面的な教え方は多様性への対応にもなる | トップページ | 主観的な検討も大切ではないか »

2019年4月13日 (土)

主観的と主体的

 物事に取り組むときに

  「評論家的な態度はよくない。自分でやれ。」

ということがよくある。確かに、現在のマスメディアには、批判する人、評論する人は多くいるが、自分の問題と考えて、飛び込んでいく人は少ないように思う。

 この問題に関して、仏教学者の田村芳朗の天台本覚思想の解説に大事な指摘があった。

空とは客観的にして主体的

これで、色々とみえてくると思う。まず私たちは、

  『科学的な思考法が大切」

ということで躾けられている。この中には

  「客観的なデータで論理的に考える」

ということが含まれている。そこで

  「主観的な思考方法はいけません」

という価値観が入ってくる。確かに自分一人の思い込みなどで、話を押し付けるの困ったものである。自分の経験でも、客観的に見て、人に伝える努力は大切なことである。

 しかし、主観的と主体的というのはな別のものである。客観的に冷静に記述する。その上で、自分の問題として主体的に取り組む。もう少し言えば、主観的な自分の思いを、とことん追求し、その上で客観的に記述してみる。そうして多くの人に共通するものを見出したうえで、それを主体的に解決していく。このような姿勢が重要だと思う。

 このような時、法華経の

  「全ては我が有、全ては我が子」

という姿勢で、子供を見るように客観的であっても主体的な解決が必要だと思う。

« 多面的な教え方は多様性への対応にもなる | トップページ | 主観的な検討も大切ではないか »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 多面的な教え方は多様性への対応にもなる | トップページ | 主観的な検討も大切ではないか »