納得するために縦横の展開
知識の上滑りと、納得の関係について、一つ思いついたことがある。
私が最初の仕事で、マイクロコンピュータのプログラムを行った時である。その時のプログラムは質の悪いモノであった。色々と追及もされた。そこで私は、高品質のプログラムと自分でも言えるように、アセンブラのプログラムの、一命令毎にレジスタの変動状況を描き、その動きを丹念に追っていくことで、自分としても納得がいくまでプログラムを理解した。
私はこの作業で何かをつかんだように思う。
さて、これでつかんだものは何だろう。もう少し一般化して考えてみよう。現在の私なら以下の2項目を挙げる。
- 具体的な細部を見る・・・抽象の梯子を下りる
- プログラムの動きを見ることで関連事項を見る
つまり、縦の動きとして、抽象的なプログラムから具体的な、メモリ内容やレジスタデータの変化という世界に降りて行った。ここで地に足がついたことが一つの成果である。一方、プログラムというのは、入力や出力などで、色々と外部と関係している。これが横の広がりであり、色々な関係を意識し、其の中での変化を見る。
このような縦横の広がりで、それまでの知識だけのものが、具体的な世界とつながってきて、納得していくようになったと思う。
昔、ヘレンケラーの逸話について聞いた時、’WATER’という文字の並びと、水道の水に触れた体験がつながったときに、言葉の世界が広がっていったと聞いた。私の場合は、学問知識としてのプログラムから、一つ一つの命令実行の変化を、自分の手で体験することで、具体的な動きとして実感できたことが、使える智慧へ変化させることができたと思う。
ただし、プログラムという限られた世界での体験を深めることは、現実の複雑性に対する一つの障害になった。この対策に為には、また多くの時間を費やして、全体像を描く訓練をすることで克服した。このことは別の場で議論したい。
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