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2019年4月20日 (土)

「トロッコ問題」から見えてくる現在社会の問題

 「トロッコ問題」は以下のような設定の問題である。https://ja.wikipedia.org/wiki/トロッコ問題

まず前提として、以下のようなトラブル (a) が発生したものとする。

(a) 線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。
この時たまたまA氏は線路の分岐器のすぐ側にいた。A氏がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でもB氏が1人で作業しており、5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。A氏はトロッコを別路線に引き込むべきか?

なお、A氏は上述の手段以外では助けることができないものとする。また法的な責任は問われず、道徳的な見解だけが問題にされている。あなたは道徳的に見て「許される」か、「許されない」かで答えるものとする。

つまり単純に「5人を助ける為に他の1人を殺してもよいか」という問題である。功利主義に基づくなら一人を犠牲にして五人を助けるべきである。しかし義務論に従えば、誰かを他の目的のために利用すべきではなく、何もするべきではない。

この問題に対して、ある学校で以下のような答えが出たという話がある。

「私は何もしない。何かすれば責任を追及されるが、何もしなければ責任追及されないから。」

この答えは、上記の問題の条件である、『道徳的議論』を外れているように見えるが、本質をついているように思う。究極の自己利益追求なら、現在日本ではこの答えになる。

 今の日本では、何かをした人間は、

   「称賛を浴びる場合と、攻撃される場合がある」

しかし、何もしなかった人間は

   「攻撃されることはない」

という状況である。これを考えると、自己保存のためには、

   「何もしない」

のが正しくなる。

 このような、行動したがために攻撃される事例を考えてみよう。

  1. 大阪の維新の改革政治 特に橋下時代の個人攻撃
  2. 竹中平蔵の経済改革
  3. ある事故現場でのトリアージ実施者への不満(マスメディアの追求)

一方、行動しなかったことで、解決しないが批判を受けなかった事例は以下のものがある。

  1. 小泉政権より前の「北朝鮮拉致」への対応
  2. 高齢者ドライバーの運転禁止問題

これらは、被害者が声を上げても、「加害者側の人権」が重視されて、

  「文句を言われるから行動しない」

人間が少なくないように思う。さらに言えば、行動した人間を

  『サイコパス』

と、あたかも欠陥のあるように言う人が少なくないように思う。 

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