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2019年5月 1日 (水)

平成と昭和の比較

 平成の時代が昨日で終わった。そこで昭和の時代から生きてきた人間として、平成の特徴を考えてみたい。
 私が感じている平成は、

   「学校的な理想化が進んだ社会」

である。これは、私も今年に入るまで、見えていなかったが、天台の本覚思想を学び、先の天皇陛下のお言葉などを聞くうちに見えてきた。

 ここで、『理想化』と言うと聞こえがよいが、

   「都合の悪いものは見ない」

と言った方がよいかもしれない。特に政治面でこの傾向が出ている。

   「弱者切り捨て」

と色々な人が騒ぐが、その前に

   「立派な大学で勉強した知識で見えていないものがある」

ことを理解していないために発生している問題がある。例えば

   「ある地域で、老人の運転をやめさせるために、タクシーチケットを配布する代わりに免許返納を呼び掛けた。」
   「しかし、応じる人がいない。」

この理由は

   「過疎地ではタクシー自体がない。1台しかないタクシーの運転手も、高齢で通院中である。」

という話がある。

 この話を、裏側から極論すると天台の本覚思想になる。

   「仏の心に、地獄の極悪人のころもあるのか?」
   「もし極悪人の心がなければ、それを理解して救うことができない。」

この逆が現在の『理想化』である。本当は、社会学などでも、デュルケームなどは

   「逸脱の存在を認める必要がある」

と主張しているが、これをおろそかにしているように思う。

 本来制度設計を行うときには、人間の多様性に目を向けるべきであり、逸脱したものに対しても対策が必要である。

 例えば、某アイドルグループの問題にも

  「常識外れのファンの行動がある」
  「経営管理を来なう人材にもいろいろなバラつきがある」

ということに目を配って『会いに行けるアイドル』というシステムを作り運用すべきだと思う。

 なお、現在の政治において、一部の革新系にはこのような発想があるように思う。一方、保守の方は、感じているがそれを従来の仕組みに押し込めようとしている面があると思う。

 ただし、政治だけでこれができるのか、本当は宗教などの救いが必要ではないかと思う。但し、中世キリスト教や国家神道などのように、権力支配の道具の宗教ではだめで、本当の救いの宗教が必要ではないかと思う。

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