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2019年5月 8日 (水)

政治というものに何を求めるか

 昨日書いた「国に何を求めるか」という議論に関して、もう少し考えてみたい。
 今回は、交流分析の発想を用いて、

  「親の立場での政治」

という観点で見てみたい。

 交流分析では、親の立場に

  1. 規律に従わせる厳格な親(CP)
  2. 優しく受け入れる親(NP)

の2種類を考えている。なお親以外には

  1. 論理的に考えて議論する成人(A)
  2. 親に従う子供(AC)
  3. 自由に発想する子供(FC)

がある。

 昨日書いた

  「困った行動を規制してほしい」

という発想は、上記では成人か子供が、CPの権力に要求している。一方弁護側は、

  「FCやAの権利を、CPから守る」

という発想になっている。

 しかし、ここで子供の立場が助けを求めているのは、優しいNPに対するものが多い。

 この問題をもう少し踏み込むと、国家などの政治は、

  「権力機構として抑制的に正義の実行だけにする」
    または
  「民衆保護の立場からできるだけ介入する」

立場のどちらかという問題になる。

 さらにここで支配されているものを、

  「『成人』と見るか『子供』と見るか」

という議論が出てくる。

 私の考えでは、

  1. 政治の権力は『成人』と『子供』を、ガイドラインをはみ出さないように支配する
  2. 宗教的な救いで『子供』の立場を救う

という、政治と別の形での救いがあるように思う。全て学問的政治の発想、つまり哲学者の政治というものでよいのだろうか?
 

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