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2019年7月30日 (火)

古代の日本の歴史の勉強し直し

 #中公新書 #古代日中関係史 #河上麻由子 著 を読んだ。

 色々と気がつくことが多く、不勉強な我が身を恥じるばかりである。特に、

「仏教が統治手段となっていた」

と言う話は、目から鱗である。今まで、科挙のイメージで、儒教が統治手段として使われることは、ある程度感じていたが、この本の書いているとおり、「菩薩戒仏弟子皇帝」という形で、仏教による民衆支配があったことを、今回初めて知った。また、周辺国への支配手段としても、仏教関連の色々なモノを与えるという形の有効性もわかった。

 個別の話では、p52の

「百済のように、皇帝が作成した経典の注釈書を下賜品に求める国」

と言う一節に興味を引いた。この文脈で考えると、聖徳太子の『法華義疏』は、もう少し外交上の意味を持つのではと思う。つまり、我が国の独自性として、

「大乗経典の解釈書を自ら書くレベルの国」

としての位置づけである。

 ただし、色々な先生が指摘しているように、法華義疏の文章は、中華文明の文章に値するかは疑問である。下手な文章を示すことは、中華文明での外交では致命傷になる。つまり、

「下手な文章=文化程度が低い」

との判定である。

 また、もう一つ、私の意見を言わせてもらえば、

「法華義疏の法華経理解は浅い面がある。具体的には、既存小乗との違いである。
具体的には、法華経安楽行品の解釈で
『少乗の禅師に親近すべし』
と解釈しているが、当時の小乗の『不浄観』は、法華経の最も嫌うものであり
『親近せざれ』と経典通りの解釈が正しいと考える。」

なお、この部分は、聖徳太子の解釈は「顚倒した分別の心が有る由る」ため『親近せざれ』ということと、訳者の花山信勝の説明がある。
(7/30追記)

と言う感触を、随の人々も持ったのではないかと思う。このような理解の浅さを、露呈すれば、

『無礼な振る舞い』

と扱われる可能性は大きいと思う。

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