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2019年7月23日 (火)

教育・訓練そして治療の違い

 国語教育について考えるとき、高機能性の発達障害の問題が出てくる。なお、現在は『高機能性発達障害』という言葉は、使われないそうだが、今回は、

『言葉を額面通りにしか理解できない。論理的な範囲の理解力はある。』

という条件を記述するため、あえてこの言葉を使わせてもらった。

 この問題を思いついたきっかけはYahooで見た一つの記事である。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190719-00010001-finders-bus_all&p=1

「発達障害生徒への配慮」としての「文学読解の軽視」?
「ポリコレ以降」の国語教育

つまり、

「ポリティカルコレクトネス的な正義から、
発達障害者が理解できにくい文学作品に関する読解は、
教育内容から排除される。」

という議論である。私は、この議論に関しては踏み込み不足だと思っている。私の意見では、

  1. 発達障害的な状況のある人は、他人の感情を理解できないことがある
  2. 従って文学読解の教育で
    『感動しろ』
    と強制されることは苦痛である

という議論には賛成する。特に、一部の文学青年的な人種には

「感動しない『お前の人間性を疑う』という人格否定的発言すらある」

状況を考えると、安易なる文学教育には危険性を感じる。

 しかしながら、上記の『発達障害的な状況』という表現に注意してほしい。

他人の感情を、理解することが難しいのは、何故か?

この問題にきちんと向き合った、議論が必要だと思う。つまり

  1. 生活環境などの問題で他人と触れることができなかった
     そのような思いやりなど成長させることができなかった
  2. 脳の機能などに障害があり感じる能力が動かない

この二つを切り分けることが必要である。

 さらに、もう一歩踏み込めば、

  1. 成長機会がなかったなら、どのような教育訓練で、成長させることができるか
  2. 脳などの機能障害ならならどのように治療するか
  3. 治療できないななら代替え機能の育成訓練はできるのか

という議論が必要になる。

 私の考えでは、以下のような対症法になると思う。

  1. 人の心への思いやりの必要性を知識付与で教える
  2. 他人がどう感じているか『想像する訓練』を行う
  3. ここで脳機能的に投薬治療が必要なら行う
  4. 他人の感情を感性で掴むことが難しいなら、論理的に推測する訓練を行う
    (自分の脳内に他人のシミュレーション人格を作る)

このような方策を、個々人の事情に合わせて施していくことで、少しは成果が出ると思う。

 なお、他人のシミュレーションを行うためには、『論理的な思考力や読解力』をきちんと身につけることが必要である。独断的な感性より、きちんと推理する力を身につける。この力が役に立つと思う。

 私も貧困家庭の育ちで、子供の頃の友達付き合いがなかったので、他人に対する感性は弱いモノがある。しかしながら、大学時代に研究した人工知能のモデル作成などの力が、他人の行動や感情を推測できるようになった。このような力を育てることで、直感的な感性の弱さを補うことができている。このような事例があることを知っておいてほしい。

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