ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« 2019年7月 | トップページ | 2019年9月 »

2019年8月31日 (土)

南海電鉄の亀裂問題について

 昨日に行われた,南海電鉄の台車亀裂問題について気になることがあるので書いておく。

 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190830/k10012056621000.html

まず、この事件と類似の話が,JR西の新幹線で起こったことを思い起こさないといけない。幸い今回は,まだ事故手前で発見されているが、

「溶接技能の問題」
または
「設計検討の甘さ」

としては,同じ根があると思う。

 つまり、

「想定外の負荷がかかった」

と言うなら,設計検討の問題であるし、

「溶接によるひずみや仕上げの不十分」

なら,現場の技能低下の問題でもある。

 なお、

「想定外を繰り返す」

ことは許されない。一度でも重大事故の芽が見えれば,徹底して潰すのが品質保証の基本であり、これを行うことが経営管理の責任である。

 どのレベルに問題があるか、きちんと解明する必要がある。

 一度のトラブルからきちんと学び成長する。これが存続する会社の基本である。

2019年8月30日 (金)

小学校の生徒が整列して話を聞く世界が理想か?

 先日書いた、「国会の議論に関する記事」について、もう少し思いついたことがあるので補足しておく。昨日までの話は以下のとおり。

国会の議論は「勧進帳の演技ではない」  http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-3d7401.html

議論に関連して今まで書いてきた記事の整理  http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-ebc1fb.html

 この話で思い浮かんだ

「正しい議論の形は、質問と答えがかみ合い、結果が出る」

と言う価値観がこの問題に関係している点について、もう少し考えてみたい。つまり、大臣が質問を受けて、

「もう少し調べる、検討の時間をほしい?」

このような答えでも善いのではないかと思う。もっと言えば、

「文書にて公開します。」

と言う答えもありではないか。

 これをもう少し一般化すると、

「小学校の教室で、お行儀良く、先生の言うことを聞き、ルールを守り発言する。」

世界を理想としているのではと思ってしまう。この価値観に縛られると、

「事前準備をして、筋書き通りの芝居になるように持って行く」

ことが当然と言うことになる。そういえば、ある番組の

「子供の意見を聞くという企画」

「出演者はタレント事務所所属の子役」

と言う問題があった。このとき内幕を知っている人が

「(変に騒いだりしない)物わかりの良い子供を
そろえることが大変だから、タレント事務所の子役を使う」

と言う説明したが、これに私も納得してしまった。

 しかし、もう少し現実の多様性や、トラブルの存在に目を向けることが、現在社会に対応するためには大切ではないかと思う。

2019年8月29日 (木)

議論に関連して今まで書いてきた記事の整理

 昨日は国会での議論について、建設的な話になっていないと苦言を呈した。

 国会の議論は「勧進帳の演技ではない」  http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-3d7401.html

 しかし、このブログではこれ以外にも関連した話を色々と書いているので、もう一度確認しておく。

 まず日韓関係に関連して議論にならない話を書いた。

 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-b713e3.html

 これを一般化し、幕末の日本の現象も考えている。これは現在も続いている。

 意見の違いについてどのように対応するか? http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-4de47d.html

 特に、新しいモノを提案するときには全体像を示して、関係者の不安を除くことが重要である。現在の維新を除く野党にはこのセンスが弱い。

新しい提案には不安の除去が必要 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-81a0.html

最後に、日本人の古くからある納得法について、明恵上人の教えを考えている。

「自然的秩序」への信頼が日本的コミュニケーション  http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/post-83aa.html

蔵出し的な話で申し訳ないが、見返す価値のある情報もあると思う。

 

2019年8月28日 (水)

国会の議論は「勧進帳の演技ではない」

 厚労省の若手が働き方改革について、提言をしている。

 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190826-00010002-bfj-soci

更にこの話に関連して、自民党の小野田参議院議員が国会の議論のあり方について、ツイートしている。

 https://twitter.com/onoda_kimi/status/1166153975051083776?s=20

 私は、小野田議員のツイートに関しては、善いことを言っているが、もう一歩踏み込んでほしいという不満がある。

 つまり、本質的な話は、

国会での議論はどうあるべきか

 である。

「重箱の隅をつつくような質問」
をして、答えられないと
「大臣の資質なし」と追求する。

これが、国会のあるべき議論だろうか?

「問題点をあぶり出し、お互いが知恵を出して、
国をよくするための議論をする」

これが本来の国民が求めている議論だと思う。

 そのためには、質問にその場で答えられなければ、

「持ち帰り検討する」

これがあっても善いと思う。事前準備に時間をかけるのではなく、本質的な問題の検討に時間をかける。これなら官僚の満足度も改善するだろう。

 山本七平が、日本の国会討論を「勧進帳の芝居」と言ったが、筋書き通りの芝居を国会で演じるのはもう止めたらいかがだろう。

「天皇機関説」がなぜ拒絶されたか?

 我が国の政治家などの議論を見ていると、自分の言いたいことを一方的に主張しているだけで、相手の言うことを聞いていない。このような一方的な主張同士がぶつかると、どこかで「強制的な決定」が必要になる。現在の日本の「民主主義」は最後は「多数決」と言うことになるだろう。

 しかし、歴史的に考えてみると、まともな議論で決めることは少なかったように思う。そもそも鎌倉幕府の大きな機能は,土地の領有嫌悪争いの裁定である。これはその後も続いていく。戦国時代は、戦いでの決着もあったが、徳川幕府が絶対権力を持っている間は,「お上の指示」に皆が従っていた。

 一方、幕末になると、幕府の権力が弱くなってくる。そこでお互いが、自分の正義を主張し、『天誅』と言う殺戮行為を繰り返すようになる。そこで、『天皇」という絶対権力を設定し直し、『天皇陛下のご意向』という形で、決着を付けたのが明治維新である。

 明治維新の長州の活動家などの行いを見れば、

「天皇は自分たちの都合の良い小田を出してくれる」

と考えてたと思えてくる。禁門の変などが典型である。

 さて、明治政府ができてからは、曲がりなりにも議会政治という形で、「議論の場」ができていく。

 しかし、「天皇陛下の絶対権力」は残っている。このような状況で、「天皇機関説」などの言葉だけが一人歩きすると、一部の革命家などが、

「天皇を確保して自分たちに必要な命令を出させる」

と考える可能性が出てくる。

 このように考える、戦前社会で「天皇機関説」を危険視したのも解る。 

2019年8月27日 (火)

韓国の文大統領の狙い

 韓国の文政権のやることは、外交の常識を離れている。

 しかし、内政だけで考えると、一つ見えてくるモノがある。つまり

『朝鮮半島の統一」

である。

 しかし、ドイツの例で見ても、共産圏の経済破綻した国との統一は、資本主義側の国が大きな負担をすることになる。経済学者の多くは、

「韓国にはそれだけの力がない」

と指摘している。

 そこで、文大統領が目を付けたのは、

「日本に金を出させる」

「植民地支配の賠償という形で必要な金を搾り取る」

と言う発想ではないかと思う。

 それを考えると、今までの合意を全て覆す、動機が見えてくる。

 しかし、この発想は世界中から袋だたきに合うだろう。一つ目の理由は

「一度締結した条約を守らない国とは誰も付き合えない」

であり、もう一つは西洋諸国が

「植民地支配の賠償のドミノ」

を恐れるからである。

 この程度の外交状況を読めない、大統領を選んだ韓国の民度の低さはあきれるばかりである。もっとも我が国にも、悪夢の民主党政権があるが・・・涙

 

 

2019年8月26日 (月)

IAの事例検討

 昨日のIA(「知能増幅」というか「知的作業支援」)について,少し事例で考えてみた。

 ある中規模会社の人事担当者Aさんは、社長方針で「ハンディキャップのある人の活用」を命じられた。具体的には、「聴覚障がい者」の雇用である。しかしながら、Aさんは、今までこのような経験はなかった。当然現場にも、「聴覚障がいのある人」と働いた経験者はいない。そこで、現場の意見を聞きたいと、Aさんがヒアリングに行くが、

「これは道徳的には行うべきことです」
「法律で決まったことですから」

と言う答えしか返ってこない。しかし、その後

「でもなんとなく不安なのです」

と言う本音が漏れてくる。特に管理職まで行くと、ある程度は自分の言いたいことをまとめていえるが、現場のリーダー的な者まで降りてくると、自分の言いたいことをまとめることもできない。

 そこで、Aさんはハローワークなどの支援機構に相談する。そこでは、今までの「障がい者雇用」の実例データがある。その中で、導入前の色々な現場の不安についてての情報を探してみる。そうして、自分たちの職場に近い事例を探し、現場の人間たちにこれではないかと、再度ヒアリングを行っていく。そこでは管理職も間に入って、色々解説する。こうした過程を経て、

「現場の言葉に出せない不安を『見える化する』」

ことができるようになる。

 また、雇用後の事例を見せることで、もう少し不安や、現状の不備が見えてくるだろう。

 このような情報提供の道具として、IAを上手に使えるとよい。ただし、思い込みの激しい場合には、自分の都合の良い事例しか見ない人がいる。これは逆効果になる。この問題の解決には、上手な使い方を示し、使える人間の選択の仕組みも必要だろう。

 

2019年8月25日 (日)

AIでなくIAを実用化すべきではないか

 先日書いた「言葉で表現できない人の立場」の話をもう少し考えてみた。

 これは、一般的な表現をすると、

「自分が思っている問題意識や違和感に、既に表現された近いモノを探す」
これは
「漢字を書くことはできないがスマホ画面で識別できる」
様な状況

である。これは上手に使うと、色々な人が持っている情報を、文書化して他の人にも伝えることができるようになる。このために、

「今までの経験や、考えていることをデータベース化して保存しておく」
「モヤモヤを持った者はそこを検索して近いモノを見いだす」
「それを適宜加工して自分の状況を表現する」

と言う段階で、言葉に出せないモノを形にして、人にも伝えることができるようなる。このような、文書作成業務は、『知的作業』であるが、『適切な事例』を提供することで、効率向上を図ることができる。

 このような、知的作業の支援を行うシステムをIA(Intelligence Amplifier=知能増幅器)と呼ぶ。現在、AI(人工知能)がブームになっているが、このようなIAの活用も大きな成果が期待できると思う。

 ただし、この形のIAの実現には、大きな危険性がある。自分の思い込みに近い事例を探し、それを全てと思い込む、『エコーチェンバー化』の危険性である。

 例えば今までの議論のIAの事例として、

「就労支援の前例(成功例)データ」

も一案だろう。就労支援において、個々人の色々な状況がある。一方、雇用する側も色々な事情がある。それを上手く表現できない人もいる。その時、前例データを上手く使えれば、それをたたき台に議論して、上手くいく形態を作り上げることは、一から提案書を作るよりは楽だろう。しかし、どちらも自分に都合の良い事例だけを探し、それを前例と主張する危険性もある。

 このような危険性を見定めて、自分を抑制しながらシステムを使う人間、これを育てることが必要かもしれない。

 

 事例を検討しました。8/26追記

 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-3ebca7.html

2019年8月24日 (土)

もし韓国で革命が起こったら我が国はどのように対応すべきか?

 韓国政府の近頃の行いは、常軌を逸している。GSOMIA破棄は、ついに行くところまで行ったという感じである。しかし、韓国政府のこの行動は、アメリカの顔を潰したことになり、これから色々な反動が出ると思う。

 さて、その一つの予測として、高くはないが無視できない可能性が一つある。それは、

「軍事クーデター」

の発生である。今回のGSOMIA破棄に関しては、軍内では反対の声が多い。しかも、文政権に対しては、元から軍部は反対であり、クーデターの可能性は、前々から噂されていた。しかし、それに対してきつく抑えていたのが、アメリカである。今までの韓国の歴史では、軍事クーデターでの政権交代が何度かあり、それはアメリカの黙認の元に行われていた。しかしこの結果は、アメリカの評判を落とすことつながることが多く

「今回は軍事クーデターはさせない」

と言う、アメリカの強い意志が、韓国軍部にも伝わっていたらしい。

 しかし現在は、このブレーキが外れる可能性がある。そうなったら、軍部と保守系野党が組み、さらに若年層の不満をあおれば、一気に革命が起き、暫定連立政権ができる可能性はゼロではないと思う。

 さてその時に、我が国はどのように対応すべきだろう。

 政府の中では、既にある程度のシミュレーションができているだろう。多分アメリカに続いて承認という形だろう。一方、マスメディアや世論の対応が重要である。単純に

「軍事革命反対!」

と機械的に言うのか、

「状況を考えると緊急処理として認める」

と言うべきか世論の準備も必要ではないかと思う。

 私個人の意見は、

「韓国自体は、自らの歴史認識をやり直し、開発独裁から出直すべき」

だと思う。 

2019年8月23日 (金)

言葉で表現できない人の立場

 先日から色々な記事を書いていて,思うのだが、SNSなどの反応を見ると,他人の意見をそのまま使っている人が多い。

 私は,他人の意見などは参考にしても,自分としての評価を行い,その上で意見を加えるようにしている。しかし,この問題をもう少し考えてみると、

「どれほどの人が自分の意見をきちんと表明できるだろう?」
特にきちんとした文章で!

と言う問題が隠れているように思う。

 もう少し言えば、

「きちんと文章を書いて表現できる人の意見だけがのさばっている」

という感覚での,疎外感を味わっている人がいると思う。ここまで考えると,私の昔の生活において

「マルクスかぶれの理論に言い負かされた」

経験がよみがえる。しかしそれ以外でも、少し形式立てて文章を書ける人間や、論理的な感じで議論できる人間の、

「彼(彼女)らの狭い見方の押しつけ」

に対して,もどかしい思いをしている人は多かったと思う。1990年代までの北朝鮮の拉致被害者家族などがその典型例である。社民党のHPなどで、

「拉致はでっち上げ」

と論理的に書かれていた時代があったことを忘れてはいけない。

 しかし現在は、ネット上に情報があふれ,検索したら自分の言いたいことを,上手くいっている人を探すこともできる。更に親切なSNSのフィルターは、情報の送り込みまでしてくれる。

 このような形で,今まで自分の「モヤモヤ」をいえない人が、「いいね」などで発信できるようになってきた。これは大きな変化だと思う。

 

2019年8月22日 (木)

「開発独裁」について色々と考えてみた

 私は不勉強のため、「開発独裁」と言う概念を、よく理解していなかった。しかし、このような「独裁的」な行動の有効性は、自分でも色々と経験している。そこで、この問題に関して少し考えてみたい。

 まず、社会制度などが不備な場合や、今日体制の既得権が絡まりながらも矛盾が多すぎるとき、一つの主義主張により反対論を押さえながら、新規体制を推し進めることは、大きな成果を生む場合がある。このような変革期の緊急処置的な「独裁」については、マックス・ヴェーバーも「カリスマの支配」の形態を示している。

 また、アジア諸国の開発独裁の多くは、「共産主義への対抗」という形で生まれた。共産主義自体も、「プロレタリア独裁」と叫んでいるので、

「独裁に対抗するための独裁」

と言う形になっている。

 この様な「独裁」が必要となる原因の一つは、

「理論的知識の過剰な信奉者に対して、明確に表現できない違和感を持った人間」

が多数存在するときだと思う。私も1960年代には、「マルクス主義者のきれいな理論」に言いくるめられたが、違和感がありそれを表現できないもどかしさがあった。一方、実際にソ連や中国の共産主義国の実態を知る人間は、

「あのような政治はいけない」

と感じていた。このような

「上手く表現できないが(説得できないが)実行することはできる」

と言う善意の状況からの「独裁的な政治」があったと思う。

 確かに、私も会社で新規技術を提案しても、受け入れられないとき、強引に自分の権限範囲で独裁的に実行し、形にしてしまった経験がある。このような、

「言葉にならないレベルのモノを実現」

するための独裁は、必要悪かもしれない。

 ただし、独裁の危険性に対する対処も必要である。

「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」

これは、北朝鮮を見ればよくわかる。そのためには、

「開発独裁は有期限処置」

という発想が必要だろう。または、

「限定権力の独裁」

と言う発想もある。つまり、反論を許さない範囲を限定しておく。

 このように考えると、日本の政治は、明治維新でも独裁的要素から、一応議会政治を育てた。また、戦後においても、実質自民党の一党独裁に近い、貧弱野党だったが、自民党内の派閥などで、絶対権力は生まれないようにした。

 これは結構上手い解決策に見える。

2019年8月21日 (水)

根本的な解決を考えることが本当の政治ではないか?

 あおり運転と暴行事件について、犯人および共犯者の厳罰を求める声が、色々と上がっている。しかし、この問題について、もう少し深く考えてほしい。

 まず、

「なぜ厳罰化の声が上がるか?」

この問いに対して、一部の有識者は

「感情的にあおられている」

としたり顔で曰う。一方

「再発防止のためにも、他の人間への見せしめに厳罰を!」

と言う人もいる。

 私はこの人たちの踏み込みの浅さを憂いる。

 私の考えは、まずはじめの『感情的』という言葉に、もう少し踏み込んで考えるモノがあると思う。つまり、この事件に対する一般的な人の感情は、どのようなモノだろうと、真面目に考えた人がどれほどいるか。私は、今回の報道をテレビで見ると、

「ある種の恐怖感を感じ」
更に
「この様な人種が他にも野放しになっているのではないか」

と考えてしまった。今回の容疑者の行動を見るに、ある種の精神的な異常を感じる。これは、薬物の影響かもしれないし、ある種の『妄想の結果』かもしれない。

 このような、『他人に危害を加える異常者』が、野放しになっている現状に、大きな不安を感じる。特に、今回の容疑者は、別の事件で起訴を見送っている。このような治安問題に向き合う必要があるだろう。

 さて、この問題をもう少し深掘りすると、『精神異常者』の『予防拘束』と言う問題が出てくる。確かに、大部分の『精神病患者』は、どちらかというと、『自罰的』でおとなしい人が多い。これは確かである。しかし、例えPPM(百万分の一)の確率であっても、凶暴な人間もいる。その人たちに傷つけられる人のことを、本当に考えて制度を作ってほしい。

 なお、アメリカ的な解決も一つはある。つまり

「自分の身は自分で守れ」

という発想である。これがいくところまで行けば『武器保有の権利』となってしまう。私たちが、銃社会を望まないなら、せめて

「他人への危害の危険性ある人間の強制入院と監視」

の仕組みが必要ではないかと思う。

2019年8月20日 (火)

意見の違いについてどのように対応するか?

 今まで議論してきた問題は、一般化すると

意見が対立したときの対処方法

が上手くできず、

『どちらかが潰れるしかない』

である。

 もう少し具体的にメージすると、幕末の日本である。幕末の世界を『男のロマン』などという人もいるが、私が見るとこと

『反対者は殺せ』

の世界であり、

『生き残ったモノが都合良く書くのが歴史』

と言う風に見てしまう。

 ただし、ここでもう一つ別の要素もある。

『議論が分かれたときには上位権力者に決めてもらう』

と言う発想である。幕末の日本は、徳川幕府が権威を失墜して、決めることができなくなっていた。そこで、『天皇の権威』に皆が頼った。これが明治維新の本質ではないかと思う。新しい状況に対して、意見が割れたとき、話し合いで良いモノは出てこない。そこでどこかで決断する機能として、『絶対的な権威』が必要となった。ここで皆が求めたのが、『天皇の親政』であった。

 この発想は、殺し合いで決めるよりは、血が流れないだけ善いが、自分の意見が入れられない人間の不満が残ることになった。その結果起こるのが反乱である。これに対して、戦後日本では、軍隊と言う武力をなくすことで、武力的な反乱を抑えた。また、民主主義という制度により、

「権力は国民」

と言う形にしたので、決断の責任も分散することになって、まだ安定してきている。

 しかし、本質的な『有意義な議論をする風土』は育ちきっていないように思う。

 今の国会の議論は、言いっぱなしか、揚げ足取りであり、

『相手を殺して自分の意見を通す』
発想から
『引きずり下ろして意見を通す』

となった、少しの進歩しかできていない。

 本当の解決は、お互いがビジョンを展開して、その上で相互に意見をまとめていく。そのような仕組みを作り、活かしていく風土を作るべきではないかと思う。

2019年8月19日 (月)

韓国の対応について一般化して考えてみた

 韓国の我が国に対する対応については、色々と腹の立つことがある。この理由を私は儒教精神の悪影響にあると思う。

 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-604364.html

しかし、この問題をもう少し踏み込んでみると,私たちの周辺にも,このような困った行動をする、人間は多くいるように思う。そこでもう少し考えてみた。

 まず韓国の問題の一つは,

「自力で建国していない」

点にある。彼らは,『戦勝国』と言っているが、サンフランシスコ講和条約には入っていない。もう少し言えば,アメリカに拒否されている。つまり、

「自力で戦って造った国ではない!」

と言うコンプレックスがある。中国に関しても,本当に日本と戦ったのは,前の国民党政権ではないかという議論もあるが、八路軍が戦った実績もある。しかもその後自力で戦った建国の実績がある。しかし、韓国には、

「まともに日本と戦って独立を勝ち取った」

と言えるだけの実績がない。まだ北朝鮮の方がある。これが,韓国の一つのコンプレックスになっている。

 従って、建国理由を『易姓革命』理論に求めて,『日本の徳のなさ』を追求することが、彼らの自尊心のよりどころになっている。従って,

「困ったときは反日行動」

と言う発想が出てくる。これを我が国では理解している人が少ないように思う。

 さて、このような『自力で得た地位でない』立場にいる人間は,私たちのそばにも少なからずいるように思う。もう少し言えば、

「昔の成績などを根拠に居座る」

人たちの話である。

「自力で得た立場でないから、色々なモノが説明できない!」
「説明できないから力で押さえつける。」
「またはわめき散らすだけ」

と言うような人間が多く存在する。

 もう少し言えば

「理由を説明できない『絶対的な正義』を振り回す」

人種が存在する。

 このような人種への対応はどうすれば善いのだろう?近づかないことが良いのだがそうも言ってられない。やはりある一線を越えると、力で抑え込む必要が出てくる。このような状況を考えると、アメリカ的な『民事訴訟社会』は一つの解決策かもしれない。

2019年8月18日 (日)

昔の「空気」が忘れ去られていく

 終戦の日の関連で、色々と靖国神社に関する報道も出てくる。この問題の一つには、いわゆる「A級戦犯合祀」の問題がある。これに対する議論を見ていて、当時から生きていた人間にとって、少し違和感を感じてしまう。

 私は、靖国神社への参拝はすべきだと思う人間の一人である。しかしながら、「A級戦犯」まで拝むかというと、大分抵抗がある。確かに、「A級戦犯」以外にも、あの戦いにおいて、色々問題のあった人が祭られている。しかし、それでも「戦死者でないA級戦犯」を、靖国神社へと言うのはかなり抵抗があった。

 私が感じた違和感について、山本七平も、意思決定の曖昧さについて書いている。私が思うに、当時の「空気」として、

「なぜ彼らが靖国に?」

と言う違和感があった。

 しかし、時代の流れはこの議論を、両極端へ分けてしまう。片や「靖国神社反対!」でありもう一方は「東京裁判無効」などの動きである。このような強い、イデオロギー的な発言だけが残っていき、その時に生じた違和感や「空気」が忘れ去られていくように思う。これは、橋下徹が

「ふわっとした民意は直ぐ消える」

と言っていたことと関連しているように思う。

 なお、もう一つ空気が消えた話を書いておこう。これは十五年程度の昔の話である。JR西の尼崎脱線事故の時、その直後の報道などでは

「事故列車の運転手の危険な性格」

について、色々と報道があった。しかし、今はこの問題は忘れ去られて、

「JR西の経営体質追求」

と言う、イデオロギー的に強い話が主になっている。歴史に残るのは、どうしてもこのような「強い話」が残り、その時点にあった「ふわっとしたもの」は消えていくのではないかと思う。しかし、これは無視できない。

2019年8月17日 (土)

儒教的な社会の弊害について

 現在の日本社会には、韓国ほどではないが、儒教的世界観の悪影響を時々感じる。しかもこの影響は、多くの人には意識に上っていないだけに、根深く、悪い結果につながることがある。

 前にも書いたが、儒教の精神は「徳ある人間の支配」である。

 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-86d414.html

従って、お互いの(徳の)序列が重要になる。更に、中国や韓国では、これに科挙制度が絡んでくる。つまり、科挙で優秀と認められた人間は、

「徳があるので他人を支配して当然」

と言う発想が出てくる。しかも、西洋文明のように「知識やスキル」ではなく、「個人の徳」と言うことになれば、これは『終身的に個人につく』要素である。

 これが、日本の企業などが、

「博士号取得者を受け入れにくくしている」

一つの条件はないかと思う。

 つまり、『博士の学位=徳がある』という風に読み替えれば、

「一度採用したら、マウンティングされる」

と言う危険性を感じて、距離を置かれることもあると思う。現実に、某高学歴者が

「私は文献の読み方などの訓練を受けているのでその訓練のない下々は従え」
「おまえなど議論の対象ではない」

と言う風な言い方をしたのを見たことがある。

 本来、学問的な訓練で、資料の信頼度の評価法などをきちんと訓練されていたのなら、その評価法を明示して、資料の信頼度も議論しながら説得すべきである。これができないのは、権威に寄りかかっている、空虚な学位と言うべきだろう。

 博士号取得者の一般企業などでの活躍には、この問題の解決も必要だと思う。 

2019年8月16日 (金)

今回の大雨について

 台風が西日本を通り過ぎた。今回は、記録的大雨と言われて、警報などが多く出たが、その割には被害が少ないと思う。

 しかし、この問題はまだ油断できない。大雨の災害には、大きく分けて2種類ある。一つは、その場で流れている水の量の問題で、多くは河川の氾濫や高潮の被害である。これに関しては、流域の流れ込みがあって、少し遅れることはあっても、大体はその場その場での被害である。このとき注目すべきは、一時間あたりの雨量である。

 一方、もう一つの被害は、土砂崩れなどである。これは土の中に蓄積された雨が、土砂を流して崖崩れや、山の崩壊を招く状態である。これは、それまでの総雨量が決め手となる。今回の大雨では、総雨量が1000ミリに達すると言う予測もあった。つまり山の土の中に多くの水がしみこむ可能性がある。半分がしみこんだとしても、土の中に50センチの深さの水流ができる。これなら、その上の土が流れても不思議はない。その水流が深ければ被害も大きくなる。

 このような山の崩壊の危険性は、まだまだ注意すべきである。

 しかし、物事を考えるとき、その場での現象と、蓄積されたモノの効果、この両面に注意しないといけない。

2019年8月15日 (木)

夏休みの自由研究について一つの案

 夏休みも終わりに近づいている。そこで悩ましい話の一つ自由研究がある。

 ここで、自由研究について一つ提案をしておこう。このブログでは、前に読書感想文に関連して

「教師の評価を忖度する」

ことを書いたが、自由研究でも同じ話がある。自由研究を提出されたとき、学校教師はどのような点に注目して、

「良い自由研究」

と評価するだろうか?私の考えでは、以下の2点で評価すると思う。

  1. しっかりした手法を身につけている
  2. この研究で成長した

つまり、実験や観察、そして調査に関して、しっかりした手順を踏んで行った研究は評価が高い。しかし、もう一つの着目点は、

「この研究で、この子は
何を得たのか?感じ取ったのか?知ったのか?」

である。やはり教育だから、成長したことを見せないといけない。

 このような点を上手にアピールできる課題を選ぶ。これが一つのポイントだと思う。

 私の一つの提案は、現在の便利さの裏側にある社会の仕組みや、自然の働きを調べることである。例えば、現在なら水道のレバーを操作すれば直ぐに水が出る。しかし、このことがどれほど贅沢か、発展途上国を見ればよくわかる。そこで、現在の水道システムについて調べると、多くの人の努力があって、今の水供給がされている。また自然界の水の循環について調べることもできる。

 こうした調査の後

「自分が、自由に使っている水が、
どれほど多くの人々の力で支えられているか判った。」

 と感想を加える。このような案はいかがだろう。

2019年8月14日 (水)

読解力について

  1.  読解力について、

  「現代思想2019年5月号 「読解力が危険だ!」論が暴走するのはなぜか?:阿部公彦」

と言う興味深い話があった。つまり、

「読解力とは何か?」
「読めない理由は何か?」

と言う本質的な議論が落ちているという話である。ここでは9+1の原因を挙げている。大事な話なので引用させていただく。

  1. 【読み手】そもそも基本語彙や文法知識が足りず、読む人が言葉の仕組みを理解できていない。
  2. 【書き手】書き手の工夫が足らず、誤解が生じている。
  3. 【読み手】読み手が誤解や曲解を行っていたり、あるいはイデオロギー的に受け付けず特殊な読み方をしてしまうために、内容の理解がずれる。
  4. 【読み手】読み手の不注意や怠慢の結果、読むべき内容を読んでいない。
  5. 【読み手】読み手が文脈をとりちがえ、ニュアンスを読み損ねたり、意味の方向を読み取れていない。読み手がどこまで「裏」を読むかで判断を誤り、過剰に意図を読んだり、逆に、全然意図が読めていなかったりする。
  6. 【もう一人の読み手】読み手の周囲にいる人が、自分の読みとずれる「他者の読み」を許容しない。「どうして私と同じように理解できないのだ!」とイライラする。自分の読解の「正しさ」への過剰な信頼を持っている。「他者とは異なる読み方をするもの」という視点が欠如している。
  7. 【他者性】他者の言葉の根源的なわかりにくさが突きつけられている。
  8. 【内容】内容が難解である。読み手にとってレベルが高すぎる。
  9. 【書き手】特定の文章表現に内在する「胡散臭さ」への拒絶反応のために読めない
  10. 【もう一人の読み手】6とは逆に、別の読み手の「読み」に引きずられすぎて、自分の主体的な「読み」ができなくなっている。

元の記事には、色々面白い意見がある。特に、「注意力」の議論は面白い。

「現在の多くの知識テストは、実は注意力のテストである。」
(注意力持続の忍耐を問う)

と言う指摘には、苦笑したがそれだけで済まされない。

 私は、

「注意力も自分の知識で補うことができる」
「ただし、新しいことへの対応力はなくなる」

と考えている。つまり、

「認識に関する知識の関与」

である。この議論はもう少し時間をかけて行いたい。

 なお、6の「他の読み方を許容しない」問題に関しては、学校教師の強制という観点でも議論すべきだと思う。教師の正解案の通り読まされた経験が、反発の土台になっていることは多いと思う。

 また、読解力の議論では、理解対象について、

  1. その文章だけで閉じている場合
  2. その文章の背景情報を前提とする場合

を分けて考えるべきだと思う。まず、閉じた文章が理解できるレベルに持って行く。その後前提になる世界観の構築や、読む側と著者の間でのすり合わせなどを学んでいく。このような段階的な育成が必要だと思う。特に世界観の構築には、全体像を描くスキル訓練も必要であり、この部分が現在の教育の弱点だと思う。

2019年8月13日 (火)

儒教について

 前に書いた、韓国に関する記事に関連して、私が儒教を正しく認識していないことがわかった。ここでもう一度勉強し直しておく。

 まず、儒教そのものは紀元前551~479の孔子の教えに始まる。孔子の教えは、その時代が荒れていることを悲しみ、古代の聖人の治世のように、秩序だった世界を求めるため、孝悌などを大事にすることを求める。その後、孟子(紀元前372~289)が教えを整えて、王道政治や易姓革命を説いた。

 儒教の教えは。五常(仁・義・礼・智・信)の徳性を正しくすることで、五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友 )関係を維持することにある。また、支配者は、

「徳があるから天に任されている。」

「徳がなくなれば革命が起こる」

と「天の代行としての王朝」と考えている。

 さて、この孔孟の教えは、その後千年以上の時を経て、宋の時代に、朱子(1130~1200)等により、ますます精密な理論になっていく。上にも書いたように、儒教は支配者の秩序を肯定し、臣下に服従させる一面があり、支配者にとって都合のよい学問でもあった。そこで、法律なども儒教の精神を反映させルことを考え、科挙の制度ができていく。つまり、儒教を理解する「徳のある人間」が支配する制度である。

 朱子は、孔孟の教えを整理し、四書を作った。大学->論語・孟子->中庸と読む体系となっている。

 しかし、ここで大事なことは、孔孟より千年の時を経ても、

「昔の教えが大切である」
「古代の聖人の政治を理想とする」

発想がそのまま残っていることである。

 私たち、西欧文明の影響下では、

「社会は進化する」

と言うことに疑いがないが、儒教文化では、それが成立しないことに注意して欲しい。

2019年8月12日 (月)

儒教について韓国を見る

 今の韓国の対応に関しては、色々と腹の立つことが多い。この理由を考えると、根本には

「儒教の教え」

があるのではないかと思う。例えば、日本のことを悪く言うのは

易姓革命の思想からすれば、
前の支配者の『徳がないこと』を述べ続ける。

ことは当然出てくる。

 更に言えば、漢江の奇跡の実態が、何故隠されているかも見えてくる。この話は、日本の人々にもよく理解していない人が多いので、少し説明しておく。

状況:「漢江の奇跡とは、先代朴大統領の時代に、最貧国の韓国を奇跡的な経済成長を遂げた。」

秘密1:「そのための資本として、日本との国交正常化の賠償金などを使用した。」
   ->徴用工への個人賠償金も、国家として受け取り、インフラ整備に遣った!

秘密2:「実は、日本の資金援助以上に、ベトナム戦争への積極的参加などで、アメリカから日本の援助の数倍の金を得ている。」
   ->そこでは、兵士の戦死者だけで5千人が出ている。

さて、韓国の国内では、上記の秘密1も2も詳細に語られることは少ない。しかし、私たち日本人の常識なら

「日本の資金で成長は腹が立つから隠すのは解らないでもない。
しかし何故アメリカの援助を隠すの?」

と言う疑問が出てくると思う。この答えが儒教にある。

「父子に義あり、長幼に序あり。」

と言うことで、

「親に孝を尽くす」
ことが大事であり
「親の犠牲で子が栄える」
天意に逆らうことになる

と言うことである。これが、宗教的に根本まで入っている。

 このことを理解しないと、今の日韓問題には答えは出ない。自分をごまかしている、韓国の政治には、対応に難しい。 

 続編です。

http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-b713e3.html

2019年8月11日 (日)

羽田空港への進入路変更について

 羽田空港への進入路変更の議論が今起こっている。市街地の上を飛ぶと言うことで、騒音問題や落下物の可能性を色々と議論している。

 しかし、この議論をについて、大阪の豊中に居住していた者としては、非常に腹立たしい感じがする。私の言っていることを、実感するために、今も、新聞などが取り上げている、森友学園問題の現場に一度行ってほしい。しかもコースは電車で行ってほしい。最寄り駅の阪急庄内を降りると、その上には大型飛行機が着陸姿勢で飛んでいる。ほんの数キロ先の大阪空港へ向かって、着陸姿勢で入ってくる。

 現在は、飛行機の改善もあるので、大分ましになったが、私が子供の時代の1960年代などは、騒音がひどいし、朝早くの飛行機もありまともな睡眠も保証されていない。なお、当時の家の状況は、木造住宅が多く、冷房なども贅沢品であった。新設の小学校の鉄筋コンクリートの学校校舎ができたが、飛行機騒音に対して防音も入れた。ただし、高価な冷房は入れることができなかったので、暑さに耐えかねて、窓を開けて授業したので飛行機の騒音で声が聞こえないことは頻繁に発生していた。森友学園は、このような大阪空港の進入路付近に設置計画された学校である。

 このような状況で育った、大阪の住人にとっては、羽田の進入路変更で騒ぐ、東京の人々は、地方の人間のことなど、無視しているのだなと思ってしまう。

 ただし、空港騒音問題に関しては、裏側の議論がある。先ほど書いた、1960年代の豊中市、特に庄内地区は、急な造成による、文化住宅があふれていた。昨日まで田園、そこに瓦などが放り込まれて埋め立てられる。すぐに、文化住宅が誕生して、大阪への三十分以内の通勤圏と人が入っていく。このような文化住宅の老朽化問題は1960年代末から、豊中市の知恵ある人は考えていた。彼らが編み出した手法は、

「天から降ってくる金の利用」

「空港騒音対策費」

である。空港騒音に耐える、防音住宅をを作る。特に1970年代になると、冷房完備の鉄筋コンクレートの住宅も可能になる。こうした、地域の改造計画が、空港騒音対策事業と関連して行われていった。この中には、阪神大震災による、被害も絡んでいる。先ほども言ったように、軟弱地盤を基礎も弱く造成してた状況は、震源から離れた地域でも家屋の倒壊などを引き起こした。これに対して、復興予算を使って、ますます高層マンションなどの建築を進めて、庄内地区は生まれ変わったのである。

 なお、このような補助金が多く投入されると、地価などは当然高騰する。一方、昔の造成の付けは残っているので、

「堀れば何か出てくる」

のも事実であり、Kさんのようにごてる人間なら、色々とクレームをつけたであろう。

 このように考えると

「現場を見ないで議論している人が多い」

と思ってしまった。

2019年8月10日 (土)

いわゆる「引きこもり問題」について

 先日、NHKの番組で、「引きこもり」の話をしていた。しかし、私は番組を視聴しながら、大きな違和感を感じた。その感覚をもう少し掘り下げると、

「この問題に関して、このような一般的な話が効果があるのだろうか?」

が浮かび上がってきた。もう少しこの理由を考えると、

引きこもりの多数は、
学校や企業の集団的な行動について行けなかったことが、
引き金になっている。

が出てくる。つまり、

「画一化した扱いに耐えられない人間が、集団や権力と衝突の結果引きこもる。」

状況が少なくない。

 このような状況を考えると、彼らに対しては、

個々人の状況に対しての個別支援が必要

である。このような状況の時、対策をマニュアル化してマスメディアから流す効果はあるのだろうか?

 本当に必要なことは、地道な支援を行う人材の育成と、活躍の場を与える政策ではないかと思う。 

 ただし、「引きこもり」の問題には、家族など周辺関係者の思い込みなどが影響している場合も少なくない。そのような関係者に対して、

「無理に学校に異化することだけが道ではない」

と気づかせるのは、マスメディアの力も有効かもしれない。

2019年8月 9日 (金)

かんぽ関係のお話

 本日、アクセス解析を見ていたら、「日本郵政グループ労働組合」からのアクセスがあった。どのページにアクセスしたかは、確認できていないが、ちょっと悩ましい。

 私は、日本郵政に関しては、少しこのブログで書いている。しかし、そのページに対するアクセスではないようなので、正社員登用関連ではと思う。確かにこのブログの正社員登用の資料は、少しは役立つだろう。

 しかし、かんぽに関して、辛口の記事のあるブログを、参考にしても善いのだろうか?

 (正社員から非正規に対するいじめ的なモノも書いているから、その記事を参考にされたのなら善いことだと思う?)

2019年8月 8日 (木)

読書感想文の上手な作成法

 夏休みに入って、多くの子供が宿題に悩んでいるだろう。その一つに、読書感想文がある。

 しかし、読書感想文については、なかなか難しいモノがある。この難しさは、指導においての建前と本音の違いがあり、しかも指導者側が、本音の部分を忘れている可能性に原因がある。

 まず一つの問題点は、

「国語教育に侵入している道徳教育の問題」

である。ここから出てくる対応策は、

「道徳的によい行動に着目する」

である。つまり、

「模範的な人の行動について書く。」

ことが正解の条件となる。

 二つ目の問題点は、

「作文指導の手段としての読書感想文」

である。これは、昭和の時代に遡るが、

「家庭の格差を感じさせないために、休みの体験談の作文をやめる。」
<-旅行に行ける家、行けないなどの格差
「その代わり読書感想文にすることで平等な条件になる。」

と言う隠された理由があった。

 この場合には、『感想文』という建前ではあるが、指導方針による正解がある。具体的には、

「内容の要約」

がきちんとできているかが、評価点となる。

 さらにもう一歩進めば、

  1. 特定の登場人物の感情をきちんと理解している 
  2. 自分ならどう思う
  3. 具体的な体験との対比

等のチェックポイントを押さえることで、高評価の読書感想文になるだろう。

 なお、この他にも、本来の感想を求める、文学意識の高い先生もいるかもしれない。

 繰り返すが、読書感想文でよい成績を出すためには、先生の意向を忖度することが大切である。 

単に知っていると言うことと説明して使えるようにすることの違い

 我が国には、明治維新以降に急速な近代化、つまり西洋文明の導入を行うため、学校制度などを素早く展開した歴史的な経緯がある。そこでは

「『知っている』ことが権力につながる」

状況であった。これを具体的に言えば『先生は偉い』である。

 この形は、戦後に教育勅語的教育が解体した後にも、色々と残っている。また実際に、物作りの世界などでも、

「先進国アメリカとの格差がある場合には、
アメリカの文書を読める人間が権威を持つ」

という状況になっていた。つまり、英語を読める大学卒業生が、権力を持った世界である。

 しかし現在の社会では、ネット化し情報の検索も容易にできるようになった。また、出版のハードルも下がったので、色々な解説文書があふれている。ここでは、

「単に知っているだけでは値打ちがない」

状態になっている。しかしながら、

「人間の理解力には色々なばらつきがある」
つまり
「行政の作った制度の一般記述を理解できない人間も少なくない」

という現実的な問題点もある。

 従って

「知っているだけでなく、それを説明し使えるようにする力」

は現在でも必要である。

 このような力を持つ人間に、権力を持たすことは認めるべきではないかと思う。

 この記事は、前に書いた
   http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-85ed17.html

の続編である。

 

2019年8月 7日 (水)

大局的な記述方法と実際の実現について

 先日書いた,小泉・竹中改革の問題点に関して,もう少し別の見方で考えてみた。先日までの記事では、政府側の提示した政策が現実を知らないという観点で攻撃していた。これに関連して、

「政府の作る制度は,難しい法律文書が読めないと理解できない」
「生活保護など本当に困っている人は,そのような文書を理解できない」

という批判もある。

 確かにこの批判は現実を捉えているように思う。

 しかし、見方を変えれば、国という大きなシステムを動かすためには、簡潔な表現によって規範を示すことが大事である。法律の制度はそのためにある。従って、

「法律文書が難しいのは足り前,それを解釈するサポートの充実が必要」

という運営上の問題が、浮かび上がってくる。

 この問題に対して、日本の戦後教育制度は,中途半端な平等主義と個人主義で対応をおかしくしたと思う。この問題点は、

「中間で法律を解釈し指導する仕組みを壊した」

ところにある。家制度や町会制度なども、このような

「お上の指導を解釈する顔役」

を育てる面があった。この制度を壊した後、

「誰が難しい制度を説明し,弱者を支援するか?」

という制度設計がうまくできていない。

 この弱者には、見方によれば強者に分類される

「小企業の経営者」

なども含まれてくる。

 これが現在の問題点の一つではないかと思う。

2019年8月 6日 (火)

現実と理想のギャップについて 小泉改革で考える

 昨日書いた、組織の上下でのギャップについて、小泉改革を事例として考えてみた。

 まず、この改革で考えたコトは

  1. アメリカ的市場主義の競争原理を色々な面で導入する
  2. 市場原理を入れることで強い企業が育つであろう
  3. 強い企業の国際競争力により日本の多くの人が幸せになる

というような発想であった。

 確かに、これで一部の企業は確かに強くなった。自力で改善を積み重ね、大胆な発想によるブレークスルーも行った。

 しかしながら、多くの企業は、以下のような貧弱な発想でしか競争力を持てなかった。

  1. 競争力のためにはコストを削減が大切
  2. そのためには安く作る外注に丸投げする
    コスト交渉でたたく
  3. 人件費を削減する->給与を抑える

この結果、非正規雇用の増加などの大きな問題が発生した。

 なお非正規雇用の増加に関しては、理想を言えば

志がある人間は、独立して新しく起業するだろう
そのためには、正社員での囲い込みがない方がよい

という発想もあったと思う。確かに私も、何人か独立して成功した人を知っている。このような人を囲い込む、大企業的発想も困った面がある。しかしながら、多くの「人材」には、独立起業のレベルを求めることは難しい。正社員にしてゆっくり育てることで、なんとか『人財』に仕立て上げることができるレベルが多い。

 このように、『人財』の分布について、総合的に判断せずに、理論的な可能性で突っ走ったのが、小泉改革の失敗だったと思う。もう一つ言えば、日本の既得権益には、労働組合というモノがあり、既存社員の人件費に大鉈を振るえなかったことは、現在の就職氷河期問題にもつながっている。

 これが、アメリカ的な経営環境なら、バブルはじけや、リーマンショックなどのタイミングで、『低生産性社員』に対する解雇を容赦なく行っただろう。(一時金で解雇)しかし、その結果、行き場を失った人の問題が生じた時、政治が対応できたかは疑問である。

 このような全体的な議論を、きちんと行うことができるようになってきたのではと期待している。

2019年8月 5日 (月)

組織運営に関して一つの思いつき

 昨日書いた、かんぽ生命の不適切勧誘問題に関して、もう一歩広げて考えてみた。今回のお題は

「上層部の方針が具体化されるときの問題」

という観点である。

 今回の事例で言えば、

  トップ:「経営方針としての利益確保」
  中間上層部:「各部門への具体的数値目標展開」
  下層管理職:「各個人への割り当てノルマ決定とフォロー」
  各担当者:「ノルマ達成への努力」

という風に展開されていくが、その中で

  「無理がどこで入り込んだのか?」

という議論である。

 上の図式で言えば

  中間上層部:「各部門への具体的数値目標展開」
                         <-現状を知らないで数字だけ言う
    ~~この間の深い溝~~

  下層管理職:「各個人への割り当てノルマ決定とフォロー」
                       
<-成功の見通しなしのノルマ押しつけ

という問題でないかと思う。

 この図式で考えると、色々なモノが見えてくる。郵政民営化に関しても、色々な段階で入り込んだ無理が、もう少し議論されるべきだと思う。

2019年8月 4日 (日)

かんぽ生命の不正勧誘に関して

 かんぽ生命の不正勧誘に関して、色々と報道がされている。しかし、この問題は、一筋縄ではいかないように思う。

 今回の時間に関しての報道姿勢を見ても

「無理なノルマが原因」
「経営陣が責任をとらない」

等という、階級闘争的な発想で、経営陣を責める記事は多い。

 しかし、この問題はこれだけで済ませてよいのだろうか?

 今回の不正勧誘の実行犯に関しても、もう少し追求すべきである。主要な観点は、

「老人の最後の資産を取り上げて、平気でいる神経の人間について」

研究すべきである。かんぽ生命の勧誘においては、特に好業績の人間が大事にされていたという、朝日新聞の記事があった。このような人間には、

「他人の被害に鈍感な精神構造」

の人間がいるのではないかという観点で、もう少し研究すべきモノがあると思う。

 このような人種は、かんぽ生命のノルマがなくなっても、他でまた別の形で、高齢者などの弱者を食い物にするように思う。

 彼らを野放しにしてよいのだろうか?

 

 

2019年8月 3日 (土)

法華義疏を読んだ感想

 先日書いた、聖徳太子の法華経に関して、法華義疏をもう一度読んでみた。確かに、法華経の比喩についてしっかり解説してあるし、法華経の教えの本質をわかりやすく解説してあると思う。

 しかしながら、なんとなく違和感がある。この原因を探っていくと、思わぬところに答えが出てきた。実は、法華義疏を読む前に、何故か昔読んだ、弘法大師の般若心経秘鍵を読みたくなった。弘法大師は、真言の教えに至るまでの、色々な教えについてよくまとめている。そこでは、小乗の教えから、唯識などの権大乗の教え、そして法華一乗の天台の教えがきちんと書いてある。

 そこで見えてきたモノは、小乗仏教の教えには、『不浄観』が重要な意味を持っていると言うことである。具体的に言うと、当時なら放置された死体を見ることも多かったであろう。その死体も腐っていく姿。白骨になった姿と色々なモノを見る。これを見ながら、

「自分の欲望のはかなさを感じる」

コトで、煩悩を押さえて、解脱していく。これが小乗の苦しみから逃れる方法であった。従って、

「不浄・苦・無我・無常」

が正しい見方となっている。

 しかし、大乗仏教である法華経は、皆に仏の性があるので、

「常・楽・我・浄」

を正しいとしている。そのため、法華経を読むと、至る所に『清浄』という言葉が出てくる。この『清浄』へのこだわりが、法華義疏からは、感じ取りにくかった。

 この点については、弘法大師空海はきちんと理解しているように思う。

 さてここで、聖徳大師と弘法大師の違いを見てみよう。大きな違いは、

「弘法大師は修行の人、聖徳大師は学びの人」

である。聖徳大師にとっては、『法華経』そのモノから伝わる本質の理解が重要であった。そこでは、

「皆に仏の力があるから話し合って決めよう」

と我が国の根底を決める大事な思想を見いだした。これは天才のみができることだろう。一方、空海は自分の修行を通じて、昔の修行についても思いやり実践もしただろう。その上で、

「法華経の皆が成仏という教えを感じ取った」

から、きちんと評価できたと思う。このような、正統的な修行と知識のバランス、これが弘法大師空海の強みだろう。

 さて、随において、聖徳大社どう評価されたであろう?私は正直判らない。煬帝が師事した、天台大師は、修行も重視され、不浄観の危険性もよく知ってられた。この教えでは、聖徳大師の「清浄」に対する感性の弱さを拒絶する可能性はある。しかし、法華経の本質である、「皆の物仏性」を理解した面が評価される可能性もある。

 一体どちらだったのだろう?

2019年8月 2日 (金)

エリート官僚の人間性育成に関して一つの希望

 昨日書いた、官僚の育成問題に関して、一つ思い出したことがあるので追記しておく。

 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-869ffd.html

大分前に、読売テレビで『そこまでいって委員会』に、タレントの山口もえさんが出ていて

「エリート官僚の候補生は、一度ベビーシッターの経験をして、
子供との感情の交流も経験したらよい。」

という趣旨の発言をした。これに対して、他の出演者が

「そのような人に面倒を見られたら子供がかわいそう。」

と否定してお笑い的に終わった。

 しかしながら、その場にゲストとしていて出ていた、片山さつき議員(当時)は

「一理ある」

とつぶやいていた。

 今の片山大臣については、私は人間性の面でも、あまり好感を持ちにくいが、それでも

「子供との感情交流などの効果を認める」

ような懐の広さがある。このような官僚の育成が、まだできているのではないかと、期待が持てるモノもある。

2019年8月 1日 (木)

この国の官僚の育成はどうなっているのか?

 テレビ番組などで、色々気になっていた、 #山口真由 さんが、 #しくじり先生 という番組に出ていたらしい。

https://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/山口真由、恋人からのサプライズに「マジで気持ち悪い%ef%bc%81」/ar-AAF6XNC?ocid=st

 番組の詳細は見ていないが、彼女に関して色々と考えていることがあったので、この機会に書いておこうと思う。まず私の仮説は

「『山口真由』という存在は、現在の学校的競争社会が生み出した
傑作であり被害者である」

という観点である。『傑作』という意味は、学校社会やその他での勝者であり、しかも高効率業務社会での最高の能力を発揮した面にある。

 しかしながら、このような人に国家の行政を任せて善いのだろうか?つまり、

「人の心を思いやる力のない人に、国家の運営を任せて善いのだろうか?」

という問題である。この逆の問題として、国家公務員の一部キャリア官僚の働き方を、山口氏は

「ブラック企業」

と表現している。これに対して、キャリア官僚たちからの反論がないことが寂しい。一部の若手キャリア官僚たちが、

「公務員の働き方改革」

として、いわゆる『ブラック要素』をなくす運動があるのは知っているが、もう一歩踏み込んで答えてほしいと思うモノがある。

 実は、私はこの問題に関して、少しは発言権がある。私自身は、山口氏ほどの高学歴ではないが、そこそこの力を持ってあるメーカーに就職した。そこでは、変革期であり、新しい技術の導入期であった。そこで私は一人で難題に挑み大失敗をした。そこで多くの人に助けられ、人に感謝し、色々な思いやりを持って働くことの大事さを痛感した。一方、このような大トラブルの中でも、私を

「人間としてきちんと受け入れた人たち」

がいたことも、私の人格形成に大きく影響している。その時の働きは今なら『ブラック』でアウトだろうが、そのような経験で、思いやりなどが育ったことを、参考にしてほしい。

 なお、私の事例にもあるように、他人への思いやりの機能が、学校社会などに過剰適応で抑圧されている場合は、『発達障害』と行動形態では似ていると思う。しかし、脳内の機関が故障していない場合には。『障がい』の認定はできない。また『障がい』なら治療をすべきだが、抑圧されているだけなら、訓練での再生も可能である。このあたりを考えて、厚生労働省あたりで

『本当の働き方改革は、学校的価値観からの解放』

を示してほしいと思う。

« 2019年7月 | トップページ | 2019年9月 »