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2019年8月 8日 (木)

単に知っていると言うことと説明して使えるようにすることの違い

 我が国には、明治維新以降に急速な近代化、つまり西洋文明の導入を行うため、学校制度などを素早く展開した歴史的な経緯がある。そこでは

「『知っている』ことが権力につながる」

状況であった。これを具体的に言えば『先生は偉い』である。

 この形は、戦後に教育勅語的教育が解体した後にも、色々と残っている。また実際に、物作りの世界などでも、

「先進国アメリカとの格差がある場合には、
アメリカの文書を読める人間が権威を持つ」

という状況になっていた。つまり、英語を読める大学卒業生が、権力を持った世界である。

 しかし現在の社会では、ネット化し情報の検索も容易にできるようになった。また、出版のハードルも下がったので、色々な解説文書があふれている。ここでは、

「単に知っているだけでは値打ちがない」

状態になっている。しかしながら、

「人間の理解力には色々なばらつきがある」
つまり
「行政の作った制度の一般記述を理解できない人間も少なくない」

という現実的な問題点もある。

 従って

「知っているだけでなく、それを説明し使えるようにする力」

は現在でも必要である。

 このような力を持つ人間に、権力を持たすことは認めるべきではないかと思う。

 この記事は、前に書いた
   http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-85ed17.html

の続編である。

 

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