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2019年8月14日 (水)

読解力について

  1.  読解力について、

  「現代思想2019年5月号 「読解力が危険だ!」論が暴走するのはなぜか?:阿部公彦」

と言う興味深い話があった。つまり、

「読解力とは何か?」
「読めない理由は何か?」

と言う本質的な議論が落ちているという話である。ここでは9+1の原因を挙げている。大事な話なので引用させていただく。

  1. 【読み手】そもそも基本語彙や文法知識が足りず、読む人が言葉の仕組みを理解できていない。
  2. 【書き手】書き手の工夫が足らず、誤解が生じている。
  3. 【読み手】読み手が誤解や曲解を行っていたり、あるいはイデオロギー的に受け付けず特殊な読み方をしてしまうために、内容の理解がずれる。
  4. 【読み手】読み手の不注意や怠慢の結果、読むべき内容を読んでいない。
  5. 【読み手】読み手が文脈をとりちがえ、ニュアンスを読み損ねたり、意味の方向を読み取れていない。読み手がどこまで「裏」を読むかで判断を誤り、過剰に意図を読んだり、逆に、全然意図が読めていなかったりする。
  6. 【もう一人の読み手】読み手の周囲にいる人が、自分の読みとずれる「他者の読み」を許容しない。「どうして私と同じように理解できないのだ!」とイライラする。自分の読解の「正しさ」への過剰な信頼を持っている。「他者とは異なる読み方をするもの」という視点が欠如している。
  7. 【他者性】他者の言葉の根源的なわかりにくさが突きつけられている。
  8. 【内容】内容が難解である。読み手にとってレベルが高すぎる。
  9. 【書き手】特定の文章表現に内在する「胡散臭さ」への拒絶反応のために読めない
  10. 【もう一人の読み手】6とは逆に、別の読み手の「読み」に引きずられすぎて、自分の主体的な「読み」ができなくなっている。

元の記事には、色々面白い意見がある。特に、「注意力」の議論は面白い。

「現在の多くの知識テストは、実は注意力のテストである。」
(注意力持続の忍耐を問う)

と言う指摘には、苦笑したがそれだけで済まされない。

 私は、

「注意力も自分の知識で補うことができる」
「ただし、新しいことへの対応力はなくなる」

と考えている。つまり、

「認識に関する知識の関与」

である。この議論はもう少し時間をかけて行いたい。

 なお、6の「他の読み方を許容しない」問題に関しては、学校教師の強制という観点でも議論すべきだと思う。教師の正解案の通り読まされた経験が、反発の土台になっていることは多いと思う。

 また、読解力の議論では、理解対象について、

  1. その文章だけで閉じている場合
  2. その文章の背景情報を前提とする場合

を分けて考えるべきだと思う。まず、閉じた文章が理解できるレベルに持って行く。その後前提になる世界観の構築や、読む側と著者の間でのすり合わせなどを学んでいく。このような段階的な育成が必要だと思う。特に世界観の構築には、全体像を描くスキル訓練も必要であり、この部分が現在の教育の弱点だと思う。

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