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2019年8月23日 (金)

言葉で表現できない人の立場

 先日から色々な記事を書いていて,思うのだが、SNSなどの反応を見ると,他人の意見をそのまま使っている人が多い。

 私は,他人の意見などは参考にしても,自分としての評価を行い,その上で意見を加えるようにしている。しかし,この問題をもう少し考えてみると、

「どれほどの人が自分の意見をきちんと表明できるだろう?」
特にきちんとした文章で!

と言う問題が隠れているように思う。

 もう少し言えば、

「きちんと文章を書いて表現できる人の意見だけがのさばっている」

という感覚での,疎外感を味わっている人がいると思う。ここまで考えると,私の昔の生活において

「マルクスかぶれの理論に言い負かされた」

経験がよみがえる。しかしそれ以外でも、少し形式立てて文章を書ける人間や、論理的な感じで議論できる人間の、

「彼(彼女)らの狭い見方の押しつけ」

に対して,もどかしい思いをしている人は多かったと思う。1990年代までの北朝鮮の拉致被害者家族などがその典型例である。社民党のHPなどで、

「拉致はでっち上げ」

と論理的に書かれていた時代があったことを忘れてはいけない。

 しかし現在は、ネット上に情報があふれ,検索したら自分の言いたいことを,上手くいっている人を探すこともできる。更に親切なSNSのフィルターは、情報の送り込みまでしてくれる。

 このような形で,今まで自分の「モヤモヤ」をいえない人が、「いいね」などで発信できるようになってきた。これは大きな変化だと思う。

 

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