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2019年8月20日 (火)

意見の違いについてどのように対応するか?

 今まで議論してきた問題は、一般化すると

意見が対立したときの対処方法

が上手くできず、

『どちらかが潰れるしかない』

である。

 もう少し具体的にメージすると、幕末の日本である。幕末の世界を『男のロマン』などという人もいるが、私が見るとこと

『反対者は殺せ』

の世界であり、

『生き残ったモノが都合良く書くのが歴史』

と言う風に見てしまう。

 ただし、ここでもう一つ別の要素もある。

『議論が分かれたときには上位権力者に決めてもらう』

と言う発想である。幕末の日本は、徳川幕府が権威を失墜して、決めることができなくなっていた。そこで、『天皇の権威』に皆が頼った。これが明治維新の本質ではないかと思う。新しい状況に対して、意見が割れたとき、話し合いで良いモノは出てこない。そこでどこかで決断する機能として、『絶対的な権威』が必要となった。ここで皆が求めたのが、『天皇の親政』であった。

 この発想は、殺し合いで決めるよりは、血が流れないだけ善いが、自分の意見が入れられない人間の不満が残ることになった。その結果起こるのが反乱である。これに対して、戦後日本では、軍隊と言う武力をなくすことで、武力的な反乱を抑えた。また、民主主義という制度により、

「権力は国民」

と言う形にしたので、決断の責任も分散することになって、まだ安定してきている。

 しかし、本質的な『有意義な議論をする風土』は育ちきっていないように思う。

 今の国会の議論は、言いっぱなしか、揚げ足取りであり、

『相手を殺して自分の意見を通す』
発想から
『引きずり下ろして意見を通す』

となった、少しの進歩しかできていない。

 本当の解決は、お互いがビジョンを展開して、その上で相互に意見をまとめていく。そのような仕組みを作り、活かしていく風土を作るべきではないかと思う。

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