ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« 韓国の文大統領の狙い | トップページ | 国会の議論は「勧進帳の演技ではない」 »

2019年8月28日 (水)

「天皇機関説」がなぜ拒絶されたか?

 我が国の政治家などの議論を見ていると、自分の言いたいことを一方的に主張しているだけで、相手の言うことを聞いていない。このような一方的な主張同士がぶつかると、どこかで「強制的な決定」が必要になる。現在の日本の「民主主義」は最後は「多数決」と言うことになるだろう。

 しかし、歴史的に考えてみると、まともな議論で決めることは少なかったように思う。そもそも鎌倉幕府の大きな機能は,土地の領有嫌悪争いの裁定である。これはその後も続いていく。戦国時代は、戦いでの決着もあったが、徳川幕府が絶対権力を持っている間は,「お上の指示」に皆が従っていた。

 一方、幕末になると、幕府の権力が弱くなってくる。そこでお互いが、自分の正義を主張し、『天誅』と言う殺戮行為を繰り返すようになる。そこで、『天皇」という絶対権力を設定し直し、『天皇陛下のご意向』という形で、決着を付けたのが明治維新である。

 明治維新の長州の活動家などの行いを見れば、

「天皇は自分たちの都合の良い小田を出してくれる」

と考えてたと思えてくる。禁門の変などが典型である。

 さて、明治政府ができてからは、曲がりなりにも議会政治という形で、「議論の場」ができていく。

 しかし、「天皇陛下の絶対権力」は残っている。このような状況で、「天皇機関説」などの言葉だけが一人歩きすると、一部の革命家などが、

「天皇を確保して自分たちに必要な命令を出させる」

と考える可能性が出てくる。

 このように考える、戦前社会で「天皇機関説」を危険視したのも解る。 

« 韓国の文大統領の狙い | トップページ | 国会の議論は「勧進帳の演技ではない」 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 韓国の文大統領の狙い | トップページ | 国会の議論は「勧進帳の演技ではない」 »