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2019年8月17日 (土)

儒教的な社会の弊害について

 現在の日本社会には、韓国ほどではないが、儒教的世界観の悪影響を時々感じる。しかもこの影響は、多くの人には意識に上っていないだけに、根深く、悪い結果につながることがある。

 前にも書いたが、儒教の精神は「徳ある人間の支配」である。

 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-86d414.html

従って、お互いの(徳の)序列が重要になる。更に、中国や韓国では、これに科挙制度が絡んでくる。つまり、科挙で優秀と認められた人間は、

「徳があるので他人を支配して当然」

と言う発想が出てくる。しかも、西洋文明のように「知識やスキル」ではなく、「個人の徳」と言うことになれば、これは『終身的に個人につく』要素である。

 これが、日本の企業などが、

「博士号取得者を受け入れにくくしている」

一つの条件はないかと思う。

 つまり、『博士の学位=徳がある』という風に読み替えれば、

「一度採用したら、マウンティングされる」

と言う危険性を感じて、距離を置かれることもあると思う。現実に、某高学歴者が

「私は文献の読み方などの訓練を受けているのでその訓練のない下々は従え」
「おまえなど議論の対象ではない」

と言う風な言い方をしたのを見たことがある。

 本来、学問的な訓練で、資料の信頼度の評価法などをきちんと訓練されていたのなら、その評価法を明示して、資料の信頼度も議論しながら説得すべきである。これができないのは、権威に寄りかかっている、空虚な学位と言うべきだろう。

 博士号取得者の一般企業などでの活躍には、この問題の解決も必要だと思う。 

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