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2019年8月21日 (水)

根本的な解決を考えることが本当の政治ではないか?

 あおり運転と暴行事件について、犯人および共犯者の厳罰を求める声が、色々と上がっている。しかし、この問題について、もう少し深く考えてほしい。

 まず、

「なぜ厳罰化の声が上がるか?」

この問いに対して、一部の有識者は

「感情的にあおられている」

としたり顔で曰う。一方

「再発防止のためにも、他の人間への見せしめに厳罰を!」

と言う人もいる。

 私はこの人たちの踏み込みの浅さを憂いる。

 私の考えは、まずはじめの『感情的』という言葉に、もう少し踏み込んで考えるモノがあると思う。つまり、この事件に対する一般的な人の感情は、どのようなモノだろうと、真面目に考えた人がどれほどいるか。私は、今回の報道をテレビで見ると、

「ある種の恐怖感を感じ」
更に
「この様な人種が他にも野放しになっているのではないか」

と考えてしまった。今回の容疑者の行動を見るに、ある種の精神的な異常を感じる。これは、薬物の影響かもしれないし、ある種の『妄想の結果』かもしれない。

 このような、『他人に危害を加える異常者』が、野放しになっている現状に、大きな不安を感じる。特に、今回の容疑者は、別の事件で起訴を見送っている。このような治安問題に向き合う必要があるだろう。

 さて、この問題をもう少し深掘りすると、『精神異常者』の『予防拘束』と言う問題が出てくる。確かに、大部分の『精神病患者』は、どちらかというと、『自罰的』でおとなしい人が多い。これは確かである。しかし、例えPPM(百万分の一)の確率であっても、凶暴な人間もいる。その人たちに傷つけられる人のことを、本当に考えて制度を作ってほしい。

 なお、アメリカ的な解決も一つはある。つまり

「自分の身は自分で守れ」

という発想である。これがいくところまで行けば『武器保有の権利』となってしまう。私たちが、銃社会を望まないなら、せめて

「他人への危害の危険性ある人間の強制入院と監視」

の仕組みが必要ではないかと思う。

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