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2019年8月 7日 (水)

大局的な記述方法と実際の実現について

 先日書いた,小泉・竹中改革の問題点に関して,もう少し別の見方で考えてみた。先日までの記事では、政府側の提示した政策が現実を知らないという観点で攻撃していた。これに関連して、

「政府の作る制度は,難しい法律文書が読めないと理解できない」
「生活保護など本当に困っている人は,そのような文書を理解できない」

という批判もある。

 確かにこの批判は現実を捉えているように思う。

 しかし、見方を変えれば、国という大きなシステムを動かすためには、簡潔な表現によって規範を示すことが大事である。法律の制度はそのためにある。従って、

「法律文書が難しいのは足り前,それを解釈するサポートの充実が必要」

という運営上の問題が、浮かび上がってくる。

 この問題に対して、日本の戦後教育制度は,中途半端な平等主義と個人主義で対応をおかしくしたと思う。この問題点は、

「中間で法律を解釈し指導する仕組みを壊した」

ところにある。家制度や町会制度なども、このような

「お上の指導を解釈する顔役」

を育てる面があった。この制度を壊した後、

「誰が難しい制度を説明し,弱者を支援するか?」

という制度設計がうまくできていない。

 この弱者には、見方によれば強者に分類される

「小企業の経営者」

なども含まれてくる。

 これが現在の問題点の一つではないかと思う。

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