ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« 2019年8月 | トップページ | 2019年10月 »

2019年9月30日 (月)

算数計算と定規の問題

 少し古いが、小学校で算数の計算の問題に、横線を定規で引かなかったと言うことで、×になったという話が出ていた。

 この話は深く追求すると、現在の学校教育の問題点が多く出てくる。根本的なモノを少し拾ってみよう。

  1. 教師の採点の硬直性
     説明力不足
  2. できる子への配慮不足
  3. 道具使用のスキル訓練の場がない

1.の問題に関しては、色々なところで議論されている。まず一つ目の論点は

「長期的に見たとき、
定規を使ってきちんと記述した形で
筆算をする子は伸びる」

と言う経験的な蓄積を、きちんと説明できない教師の問題である。

 一方、できる子への配慮という観点からは、このような筆算は、どんどん進めて暗算のスキルを磨くべき、と言う議論ができているかという話である。画一化教育の問題点である。

 さて、私が経験上重視したいのは、3,の定規を使うスキル訓練である。定規を使うと言うことは、成れないと不自由を感じる。これを繰り返し身につけておくことは、色々なところで役に立つ。もっと言えば、決められた長さの線をきちんと引く。このような訓練も大切である。

 決められた長さの直線を引く。その線は、どこで引いても同じ長さなら、重ねると一つになる。これを同じモノとみる。これが幾何学の始まりである。

 このような深みを持った、算数の問題演習をしてほしい。

 

2019年9月29日 (日)

地獄に仏か、地獄だからこそ仏か?

 昨日のNHK「ブラタモリ」は、比叡山であった。特に、常行堂の修行状況は迫力があったが、向かいの法華経の修行の話がなかったのが寂しい。確かに、テレビで取り上げるには時間問題もあって難しいが、法華経の懺悔の修行は、今一度見直すべきではないかと思う。

 私も、昔カウンセリングの勉強をしたとき、

「自分の心の闇に向き合う、懺悔の難しさ」

をなんとなく感じていた。

 しかし、昨日の比叡山の話で、一つ解ったことがある。

「地獄に仏」
ではなく
「地獄だからこそ仏」

である。

 つまり、自分が今までの悪行や、現在の心にある悪と向き合う。これこそが地獄である。しかしながら、

「それでも活かされている」
これこそ
「仏の力」

これを直観する。このような不安定な世界で、自分が存在することは、仏の力が必要である。これを地獄を見ることで、深く納得していく。

 昨日はこのように思った。

 

環境問題の議論について思い込みの怖さ

 環境問題に関して、スエーデンの高校生の国連での発言が色々と話題になっている。個人的には、あれほど感情的な表現は、敵味方をはっきり分けるトランプ話法に近いモノであり、国連という場にはふさわしくないと思う。

 さて、ここで一つの昔話を思い出した。1970年代にシステム・ダイナミックスという分野の研究がはやり、ローマクラブの「成長の限界」と言う予測本が出ている。この本の予測自体は、現在の状況とは外れている。しかし、この本自体が社会を変えた可能性もあり、ある程度の評価はできるだろう。ただし、この検討手法に関して、一つ想うことがある。このようなシステム検討を行うときには、どこかでフィード・バックがかかることが多い。フィードバックには、プラス側とマイナス側がある。マイナス側は行き過ぎを修正する効果があり、安定化に役立つ。一方、プラス側は、ますます影響が大きく爆発的な結果につながることが多い。システム・ダイナミックスのモデルで検討すると、このようなプラス側のフィードバックで極端に走ることが多い。

 さらに、このようなモデル化をして検討を行っていると、そのモデルの結果から、その結果を見ている人間に、影響を与える。このフィードバックで、強い信念が生まれてしまうことがある。

 実は、1970年代にシステム・ダイナミックスと、その計算機シミュレータとしてのDYNAMOについて、研究した人にも、そのような思い込みが強い人がいた。システム工学の先生に

「DYNAMOは使える範囲では効果があるが、それが全てと思い込むと危険」

と言う教えてもらったことがある。

 このような複雑なシステムのモデル化は、とても苦心して作ることが多い。その結果、自分が作ったモノに執着することがある。

 ただし、複雑なシステムの変化は、大きければ大きいほど、それまでに影響していなかった要素の介入を招くことも多くなる。従って、予測は常に間違う可能性がある。

 このように、自分が間違う可能性を謙虚に反省し、他の意見を聞く姿勢が大切である。特に、科学的な手法でも万能でなく、限界や誤り可能性を常に考えて、行動することが必要である。 

2019年9月28日 (土)

「信用」を「見える化」する手段ができた 仮想通貨問題からのアイデア

 日経ビジネスの最新号、「リブラ・インパクト お金と国の進化論」は、興味深い内容があふれている。その中でも

https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/special/00238/?n_cid=nbponb_twbn

お金が消える日「信用」が可視化されると何が起こるか

の部分が面白い。

 考えてみると、私たちにとって「金を持っている」と言うことが一つの信用になっている。色々なモノの購入なども,金の裏付けで行われるし,仕事のための資金を調達するにしても,担保になるモノという結局は「金」で評価できる物件が重要な要素となる。

 ここで一つ目の飛躍は、「現金ではなく支払いの保証」を、IT技術的に行うことができれば,これはキャッシュレス社会になる。しかし、これ以上に「信用」をもっと「見える形」にすれば、社会の形が変わってくるのではと思う。

 一つのアイデアであるが、人一人の今までの業績、行動履歴などを一つのデータベース化し,これを暗号化して個人個人が保有するようにする。この人に対して、取引や採用などを行うとき、このデータの中の「行動事例」などの必要情報を提供することで、「信用の評価情報」とする。このようなアイデアは使えないだろうか。ただし、データの妥当性などは、別途の保証者の検証が必要になる。

 一つの事例として、現在話題の「就職氷河期世代の再就職」問題に関して、彼(彼女)らの、今までの仕事経験や、社会での活動経験を、就職支援者の目で見ながら、データベース化していく。この情報のうち、本人の承諾を得た情報を使って、人材を欲しがっている企業とマッチングを図る。このような、ポータブルスキルのコード化を行い、必要に応じて活用することで、隠れた人材の発掘に役立つのではないかと思う。

2019年9月27日 (金)

「嫌韓論」についてもう少し考える

 いわゆる、嫌韓論について、不安と不満お酔い課題だと思うので、もう少し考えてみたい。一部マスメディアなどでは、一括して

「嫌韓論はいけない!」

と「ご指導」を頂いているが、この問題に関しては、色々なモノが絡んでいる.これを明確にして行くことは、曖昧な不満に対する対処法としても、よい事例になると思う。

 私の独断で、いわゆる「嫌韓論」を、以下のように分けてみた。

  1. 文在寅大統領の行いに対する嫌悪
  2. 韓国の歴代政治の竹島問題などへの不満
  3. 韓国の歴史教育を受けた人間に対する不安
  4. 朝鮮半島出身者への嫌悪
  5. 種々の人権活動家への嫌悪

個別に説明すると、まず現在の文大統領の言行に関しては、「国家の間で一度合意した内容を覆す。韓国側が対応すると約束して、日本からの補償金を一括受けた経緯を無視し、日本企業の財産を差し押さえる。」等の一方的主張がある。これに関して、不満を持つ人たちは多い。嫌悪感と行っても、この感情は許容できるモノではないかと思う。

 次に、韓国の歴代大統領の行動である.これは、「人気が落ちれば反日行動」という体質が、特に近頃は目立っている。竹島問題などがこの事例である。これに対する嫌悪感は、色々な有識者や、韓国とパイプのある政治家などに抑え込まれている。ここでの不満がかなりたまっていると思う。

 ここから意見が分かれると思うが、私は「韓国の歴史教育問題」がについて、日本国内でももう少し議論すべきだと思う。良い悪いでなく、まず事実関係を明確にする。これは歴史事実ではなく、韓国の教育の事実である。例えば、竹島問題に関しては、李承晩ラインの違法性を議論すべきという私たちの主張など書いていない。それ以外にも、日韓併合時の状況に関しても、韓国側の都合で書かれている。これから起こる、韓国側の「反日感情」について、私たちも理解しておくべきではないか.くさい物に蓋をした為に、反動での嫌悪が起こっている。

 一方、いわゆる「在日」と言われる人たちまで、嫌悪感を示す人がいる。しかし彼らの多くは、日本の教育を受け、「反日教育」を受けていない人も多い。そのような人のへの、「ヘイトスピーチ」的なモノは、許すべきではない。ただし、朝鮮総連の一部活動家のように、拉致事件の関わりのあった人もいる.このような犯人に対して、「人権的配慮」で批判を抑圧された歴史もある。このような、「人権活動家」に押さえ込まれた経験に対する反動も、嫌韓の一つの理由になっていると思う。

 このように一つのラベルに押し込めるのではなく、状況をきちんと認識して、認められるモノを認め、否定すべきモノを否定する。これが不安や不満を少しは減らすことにつながると思う。

2019年9月26日 (木)

不安についてもう一歩踏み込む ー言葉に出せないモノー

 昨日の不安の話について,もう一歩踏み込んで考えてみた。

 不安の状況の一つは、

「言葉に出せない不安」

がある。これは、自分が感じているものが言い出せない、もどかしい状況が一つである。

 しかし、これをもっと悪くする場合がある。それは、

「有識者などに違った内容で言われてしまう」
「それに言い返さない」
「違和感を感じているが言葉にできない」

と言う状況である。現在は、これに対して

「ラベル貼りは止めろ」

等の反論や、部分的に切りとって、SNS上で何か言う人も出てきている。

 このためには、不安や不満等の、いわゆるネガティブな面の表現力を育てて、

「悪いモノを適切に吐き出す」
「本当の原因を追及しやすくする」

努力が必要ではないかと思う。

2019年9月25日 (水)

「不安学」のすすめ

 福島原発の処理水に関して、安全と安心の話をもう一度行う必要が出てきた。

 維新の会の松井大阪市長は、

「政府がきちんと安全を保証してくれれば、処理水を大阪湾に放出してもよい。」
この主旨は
「科学的な安全の保証は政府の仕事、地域住民が安心するのは地方自治体の仕事」

と言うことで、

「地域住民の信頼を得ようと努力している大阪の力」

を、自民党のだらしない地域迎合発言大臣への当てつけで見せたのだろう。

 しかし、この議論で出てくる、

「安心は大衆の心の問題」

と言う論点は、もう一度きちんと捉えるべきだと思う。科学的数値や検討結果の「安全宣言」だけでは、やはり皆は納得しない。

 このため、私はもう一歩踏み込む

不安学

を考えるべきではないかと思う。

 不安はどのような状況なのか?現状をきちんと把握する。そこから、原因を深掘りしていく。そして対策を考える。この手順をきちんと踏まないから、現在の「政治不信」や「マスメディア不信」につながって、そこから不安が広がっていると思う。

 私の考えは以下の通りである。

  1. 不安は将来の予測の中に「自分たちにとって悪い状況が起こる」と思うこと
  2. 不安は説明などに納得できないときに起こる
  3. 不安の原因は、自分の知識不足と、説明者への不信の二面がある
  4. また別の原因として、自分の経験の過剰拡大もある

この仮説からもう少し議論を深めると見えてくるモノがあると思う。

2019年9月24日 (火)

現在のトラブルに宝生如来の智慧で対応

 先日書いた、唯識思想の話について、もう少し考えてみた。

 私の考えでは、現在の情報過剰世界では、情報選択を行う「マナ識」の働きについて、もう少し注意すべきだと思う。このような情報選択は、既にインターネット上で発生している。SNS等のフィルターバブルでは、自分が今まで見た情報に近いモノが提供されるようになっている。確かに、私が見るページでも、前に見たページに近い情報が、検索の上位に上がったり、ポータルサイトのおすすめ記事に載ることが多い。このようになると

  • 安倍首相はけしからん
  • 今の政府はよくやっている

の両極端が、それぞれ自分の好みの情報を見るようになっていく。こうした弊害が発生している。

 ただし、マナ識の無意識的な情報選択は、大切な機能があることも確かである。例えば、一部の発達障害者には「知覚過敏症」が症状としてでることがある。聴覚でこれが出ると、

「色々な音が迫ってくる。蛍光灯の音、冷蔵庫の音など・・・」

と言う状況である。この症状を持っていない人には、理解が難しいだろうが、私たちは耳で聞いた情報を、色々なフィルターでより分けている。つまり「意味のある情報」だけを聞こうとしているのである。騒がしい中でも、自分宛の声は聞こえる、と言う現象もこの効果である。この機能が育っていないから、「発達障害」と言われるのである。

 さてこのような聴覚過敏の人が町に出るときはどうするか?現在の技術で、「ノイズキャンセラー」というモノがあり、ヘッドホンを通して、聞きたい音以外をキャンセルする機能がある。このような道具に支援されて、なんとか生活している人もいる。

 しかし、世の中には、

「人と話すときにヘッドホンをしたままの無礼な人」

と決めつける人もいる。

 このような人には、

「自分と違う条件で、色々と必要なモノがある人がいる。」

と知る智慧があれば、もう少し思いやりができるのではないかと思う。

 マナ識が智慧に転じると、

平等性智

となり、これを仏の形で表すと

宝生如来

となる。一切の垣根を取り払い、平等に見ることで、宝を生み出す。現在社会に必要な思いやりの根底に、このような人それぞれの事情について理解し、平等に見ることが大切ではないかと思う。

2019年9月23日 (月)

学校教育の行き過ぎの事例(寓話) 女子アナ VS 才媛

 昨日、読売テレビの #そこまで言って委員会NP を見ていて、思いついたお話である。

<お話はじめ>

 この番組で、スタイル抜群と言われている、黒木アナウンサーの発言

「先日、皇女和宮の江戸への道中について、特集するため。現地レポートに行ってきました。」
「1日中山道をを歩くのは大変でした。今日も足が痛いです。」

 これを聞いていた、番組出演者の、東大・司法試験・公務員試験などで数々の伝説ある才媛山口真由から

「それは、旧中山道でしょう!歴史の教科書を勉強しなさい。」

と鋭く指摘された。

 しかし、黒木アナも負けてはいない。

「実際に歩いたら解ります。結構な山道でした。」

<お話終わり>

 このような、教科書の知識だけで、現実に起こっていることに目を向けない『優等生』が、方針を決めるようになったら、色々と危ないことが起こりそうである。

<お話続編>

 この話を聞いていたら、そこに黒木アナが出演している、 #関西情報ネットTEN 中谷キャスターが通りかかって黒木アナに注意した。

「そのような誤解を招きそうな表現は止めなさい。例えば
『石だらけの山道』
と入れるだけでも、誤解されることはないでしょう。」

黒木アナも反論する。

「時間が足りないので・・・」

中谷アナは厳しい。

「その程度の調整ができなくて、キャスターは務まりません!だから貴女はまだサブなのです!」

隅っこでしくしく泣いている、黒木アナ・・・

<続編終わり>

2019年9月22日 (日)

知識と智慧の違いについて

 大乗仏教の教えは、現在にも生かすべきモノがあると思う。今回は、唯識の教えについて考えてみた。唯識の教えは乱暴に言えば

「私たちの心の中が全て」

となるが、私たちが今まで学んだ西洋文明の唯心論と比べて、深いモノがあると思う。まず、19世紀末にフロイトが言い出した潜在意識の働きを、4世紀頃には掴んでいる。もっと言えば、フロイトより、心の構造は旨く分けているように想う。唯識の心の捉え方は

  • 前五識 目・耳・鼻・舌・身の五感から取り入れたモノ
  • 意識・・・私たちが考える意識
  • マナ識・・意識に何を登らせるか選ぶ
  • アラヤ識・全てがここに入っている根本識

と言う階層構造になっている。私たちが意思決定をするのは、『意識』の舞台上で考えている。しかしながら、この意識の舞台に登るのものは、今までの経験や知識などに左右されている。経験等を蓄えているアラヤ識と、それを選別するマナ識の影響を受けている。例えば、太陽の位置が変化するのを見ても、『これは地球が回っているからだ』と思うのは、今まで学んできた知識の影響である。

 このような知識を準備する、ここにマナ識の働きがある。しかしこの働きを、意識していない人が多い。そこで自分の考えに対する思い込みが生じる。特に現在のIT環境では、ネット上にあふれる情報を、色々なモノが選別して与えてくれるし、自分でもほしい情報を探すようになっている。この結果、意見が極端に偏る傾向がある。

 例えば、今回の台風事故に関しても、『東電が悪い』『安倍首相が悪い』と決めつける一派と『野党が悪い』などと決めつける派に、大きく分かれている。この理由に、情報の選択という問題がある。これが、他人に与えられた知識である人が多いのが現在の問題点である。

 さて、大乗仏教では、この問題に対して

「識を転じて智となす」

という解決策を示している。つまり、

「与えられた知識ではなく、自分の智慧で選ぶ」

ことを示している。もう少し詳しく言えば

  • 五感に対応して実世界で働き実現する成所作智
  • 意識を構成するため善いモノを見いだす妙観察智
  • アラヤ識から情報を選ぶときに自我を捨てる平等性智
  • 全てを素直にアラヤ識に取り込む大円鏡智

が自分にあると自覚し、働かせることの大切さを示している。特に、マナ識のレベルでの平等性を意識することは大切だと思う。

 こうして、

自分が主体的に智慧を働かす

ことが現在必要ではないかと思う。

2019年9月21日 (土)

学問を仕事の上で活かすために

 昨日書いた、大学文明と企業文明の切り替えについて、もう少し思うところを書く。

 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/09/post-71a81a.html  

昨日からこの問題を少し考えていたが、大学側でもう少し学ぶべきモノがあると感じた。それは、

「プラトンの洞窟の比喩」

の深い理解である。現在の学生にも『洞窟の比喩』という言葉を知っている人は少なくないだろう。そうして簡単な定義をすらすら言える学生も多いと思う。

古代ギリシャの哲学者プラトンは、我々人間は、洞窟の中で一方を向くように縛り付けられている。そこで見ているのは、洞窟の壁面に映る影芝居のようなモノであり、真実の世界は洞窟の外にあるが、我々はそれを見ることは許されない。ただ哲学者の知の力で真実に近づくことができると主張した。

ここで大事なことは、

「学問の力で得るものは、真実の世界のほんの一部である」

と言う謙虚さが、この教えに入っていることである。

 確かにその後の哲学者たちは、色々な面から検討することで、誤りがないようにする努力もした。しかしながら、部分的なモノであると言う謙虚さを、多くの科学者や哲学者は持っている。

 このような部分的な知識でも、色々な面の予測ができる。これが物理学に代表される現在の科学の力である。常に自分が見落としている危険性は考える。しかしそれでも現実に適応した部分での予測などで役立つこともある。

 このように、謙虚さと積極性のバランスがあれば、学問知識を活かして世の中のためになる活動ができると思う。

2019年9月20日 (金)

今回の千葉の災害対応での違和感

 今回の千葉の災害を見て、「何でも国政」という「空気」に対する違和感について、原因を考えてみた。例えば、個別の停電について、国会議員や、防衛大臣がツイッターで情報発信をしている。確かに、防衛大臣は、自衛隊活動のPR機関でもあるので、細部までの情報発信もよいだろう。

 しかし、地方の細部まで国会が動くのか?と言うことは、もう少し考えるべき必要があると思う。この問題は、少し古いが

「保育園落ちた~~」

等という、ローカルな話を、国会で総理大臣に質問し、その後色々と問題になった事例がある。野党がこのようなレベルだが、自民党ももう少し考えるべきだと思う。

 私が問題と想うのは、

自民党が地方議会議員などをきちんと育てていない

点である。地方のことは、地方に任せ、市会議員や県会議員に花を持たせる。このようなことも必要で派内かと思う。

 もっと踏み込めば、地方議会での活動を積み上げて、国会に上がっていくと言うキャリアパスが崩れている。今の国会議員の多くは、二世や三世という、遺産引き継ぎ組や、官僚のOBや美貌タレントと言う「いきなり国会」組が多く、地方議会からの叩き上げ組が少ないように想う。

 苦労して、地方から国会に出てきた議員を、もう少し大事にする。そして、地元密着の地方議会銀を育て、地域組織を活性化する。これが自民党に本当に必要でないか?地域を見ていないと、大阪のようになってしまう。

大学文明と企業文明の「マジョリティ」

 昨日書いた、「ソーシャル・マジョリティ」の話に関連して、一つ思い出したことがある。

http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/09/post-db14d4.html

大学から、特に研究者のレベルから、一般企業に就職するときに、やはり

「それぞれの社会の立場は異なる」

ためのトラブルは今までも生じている。この問題も「ソーシャル・マジョリティ」の暗黙の価値観を明示していくことで、もう少し改善できるのではないかと思う。

 私の経験では、

  大学文明:理論の厳密さが命
  企業文明:総合的観点での現実的実現性が命

と言うことで、重点の置き方が違っている。しかし、大学出たての場合

「私の知っている理論では今の会社は間違っている?」

等と言い出して、失敗することが多い。

 このような人たちは、

「とりあえず会社の現状を知り、自分の思っている理論知識で、
どこまで説明できるか考える。」

ことが有効ではないかと思う。説明していくことで理解が深まるし、理論の及ばないモノも見えてくる。理論で全て押さえようとすると失敗する。しかし、理論を活かそうとする努力は必要である。

 なお、この逆もある。一般人が、学問の世界に踏み込むと

「せめて定説を学んでこい」

と言われる。しかし

「何が定説か解らない?」

このような事態も起こるだろう。文明の切り替えにはやはりそれなりの努力が必要である。私も歴史のことを学ぶためには、

 講談社学術文庫 日本の歴史00~

を読まないといけないと思っている。

2019年9月19日 (木)

「ソーシャル・マジョリティ研究」について 情報処理2019/10号

 情報処理学会誌の最新号(2019/10)に『ソーシャル・マジョリティ研究』と言う、興味深い特集があった。この内容は、

社会の多数派が『当然』と思い込んでいるルールなどを明確にして、発達障害者などとのトラブル原因を明確にする

ことを目的としている。一昔前なら、野中郁次郎などの提唱した『暗黙知』の研究とされたであろう。

 この研究についての紹介が、社会学系でも心理学系でもなく、情報処理学会の学会誌で行われることの意味は大きい。

 ただし、それほどの違和感はない。まず、IT系のエンジニアにとって、技術的な実現はそれほど難しくないが、利用者である人間の理解、そして人間が集まったときの組織行動の理解は非常に難しいモノがある。多くのトラブルは、利用者を理解していないため、納入後のクレームによることが多い。私も、昔はソフトウエアのエンジニアだったのでこのことは痛感している。このためにも、『暗黙的なルールの明示化』に関する研究として、この分野を取り上げる効果はある。

 また、現在のAI技術などは、ソーシャル・マジョリティ研究に対して、コミュニケーションのモデルを提供したり、シミュレーションのツールを与えることもできる。この面からも、貢献できると思う。

 最後に、これは少し誤解を招く危険性があるがあえて言うと

「ソフトウエアの技術者のある段階では、文章に書かれた情報だけで考える
ある種の発達障害的な行動をとる場合がある。」

私はこのことを称して

「後天的な発達障害的行動」

と言っていた。もっとも、発達障害のスペクトラムを見ると、決められた範囲での精密なプログラム作成には、発達障害者の能力発揮の場が多い。

 このような面からも、情報処理学会誌の今回の特集は、大事なモノだと思う。 

2019年9月18日 (水)

T型のスキルを持つ組織 管理者編

 今まで、このブログで、イノベーションの実現のために、『T型のスキルを持つ組織』について書いてきた。今回は、このような組織を管理する立場で考えてみたい。

 まず経営的な観点で見れば、『ロマンとそろばん』のバランスである。新規チャレンジには失敗がつきものである。つまり採算面では足を引っ張る。これにどれほど耐えることができるか、どこまで利益を持っていて、それを新規開拓につぎ込むか、このバランスが大切であり、これはトップの決断事項である。

 一方、管理者には、部下の人間的要素に気を配る必要がある。丸投げして、成果を待つという形の管理は、現在の経営状況では許されなくなってきている。部下の個別状況を見て活かしていく、きめ細かい管理が必要になってきた。このようなとき、交流分析の考え方が役に立つ。交流分析では、人の立場を以下の5つに分けている。

  1. CP:厳格なる親の立場
  2. NP:優しい親の立場
  3. A:一人前の成人の立場
  4. FC:自由な子供の立場
  5. AC:従順な子供の立場

ここで管理者は、親の立場になることが多い。しかしそこでも、『優しい眼で育てるNP』と『厳格に指示を実行させるCP』の両者の使い分けが必要になる。一般に、I型の突破中の担当者は、自由な発想で育てるためにFCとして扱い、それをNPの目でかばい育てることが効果を生む。しかし、行き過ぎた自由や、成功の見通しがない場合の撤退時には、CPとして厳格な対応も必要である。このように、上手に部下を泳がすことが新規開拓には有効である。

 さて、このような突破可能性が見えると、その後は色々な観点から、製品に仕上げる段階になる。この段階では、色々な立場の人間が参画する。ここで注意しないといけないのは、参加者にも色々なレベルがある。一人前に成長し、意見もしっかり言え、しかも他人を尊重するA型の人材ばかりではない。多くは、自分のせまい範囲の専門性や経験に捕らわれている、子供の立場FCである。彼らに自由に意見を言わせることは、他面的な見方の検証として重要である。このような部分的意見をまとめることで、安定して生産効率の良いモノにすることができる。

 しかしながら、このような発言を無制限に許すと、収束がつかなくなる。そこで、どこかでは厳格な親CPとして決断して皆を従わせる必要がある。

 更に、ある程度安定した状況なら、秩序維持が重要であり、厳格な親CPに、従う従順な子供APと言う組み合わせは、組織のストレスが少なくなる。

 現在は、このような状況に応じた管理が必要になってきた。

2019年9月17日 (火)

T型のスキルを持つ組織 一部分の力

 昨日はブレークスルーにおいて、大きな働きをするI型の部分お力について書いた。しかし、本当のイノベーションはこれだけでは完了しない。個人の天才的な突破は、往々にして不安定な「偶然の成功」と言うことが多い。しかし、成功可能性が見えれば、多くの追従者が生まれるのが世の常である。そうした追従者のなかには、「安定した成功」に持ち込む力がある場合がある。これを見いだして育て上げることが、イノベーションの本当の成功である。

 なお、このような安定化の試みには、突破した人間自体も参加しても善い。これは個性にもよるが、突破するときに集中する力と、広く見直す力は別物であるが、一人の人間がこのモードを切り替えることができる場合もある。

 「最初の作品は無理して作った。もう一度作り直したい。」

このように考えているなら、もう一度安定化したモノに作り替えさせることも大切である。こうして見直しながら、ゆっくり成長していく。この場合には、色々な観点から意見を言うことが大切である。組織として多様な立場から意見を言う。これを総合しながら善いモノに育てていく。これができる組織は、イノベーションを実現できると思う。

 特に、I型人財が突破するとき、応援した人たちは、最初の考えを完全でなくてもある程度知っている。このような人たちが参画することで、幅広い考えを、批判的にならずに組み込んでいくことができる。

 最後に製品化するときには、作業者の個人スキルに依存することを少なくすることが重要である。

 「平均的人材なら誰でもできる」

レベルになるように注意する。このような配慮も必要である。

 こうして考えると、やはり幅広い考えも大切であり、T型が必要と言うことである。

2019年9月16日 (月)

T型のスキルを持つ組織 I部分の育て方

 昨日の続きで、T型のスキルを持つ組織について、もう少し書いていく。

 今回は私がI型と表現した、特定部分に深く突っ込む部分について考えてみたい。この部分の力が、ブレークスルーの主要部分であるが、これだけでは十分ではない。ブレークスルーには大きく分けて以下の段階がある。

  1. 従来にない可能性を開く
  2. 可能性から製品として安定的な物に仕上げる
  3. 採算のとれる生産体制と販路を確立する

各段階では、それぞれ別の才能が必要になる。

 可能性を開く段階では、ある種のひらめきが大きく影響する。これは、

「今までそこで使われなかったモノが使える!」

という漠然とした感覚が最初に出ることが多い。例えば

  • XX理論は今回の仕事でも使えないか
  • 別の仕事だがXXのやり方はこちらでも使えないか

と言う風なイメージがわく。このイメージは漠然としたモノで、個人として思いつく段階が多い。そこでこれを個人で育てる場合もあるが、気軽に相談できる環境があると、もっと進むことも多い。ただし、相談して賛同されても、イメージの核は最初に思いついた人間が持つことが多いので、その人間が個人で詰めて完成度を上げることが重要である。もう少し言えば、個人の脳内でイメージができてくると、他の専門家に上手く質問できるレベルになる。このような段階まで来ると、協力体制もできやすくなる。ただし、専門家に丸投げするようでは失敗する。イメージを持った人間を中心に育てることが大事である。

 このように、深く突っ込んでいく部分が「I型」と称している部分である。

 ここでは、個人プレイが主体となる。個人が深く考え、理論を深く理解し、他分野の仕事や経験の本質を見抜く。このような個人スキルが重要である。しかし、そのように考えている人間を、サポートし、理解する周囲の働きも重要である。相談したときに、完全な理解ができなくても、とりあえず面白いと反応する。これだけでも孤独に悩む開拓者の力になる。また、ヒントを与えることはできる。こうした周辺のサポートも大切である。このような、日頃からのコミュニケーションは、組織のスキルとして大切である。

 さて、イノベーションに関しては、上司の立場について色々と議論する人が多い。これについては

「上司の理解が重要である。好きにやらせた。」

と言う成功例の話が教科書に載ることも多い。しかし、これはモノの反面しか見ていない。イノベーションは

「1勝9敗」

と言われるように失敗も多い。この引け時の判断が難しい。私も、色々な新規開発をするとき常に

「これは時間の無駄遣いではないか?
今なら引き返せる。」

と自問自答しながら画期的なモノを作り込んでいった。このとき上司が

「この仕事は私がやらせたモノ、失敗の責任は私がとる。
好きなようにやれ。撤退判断は私が行う。」

言ってくれたらどれほど楽だったろうかと今でも思う。

 イノベーションの突破力に関してはこのような考えも必要だと思う。  

2019年9月15日 (日)

組織としてT型のスキルを持つ

 経営学が取り上げる,勝ち組負け組の事例として、コダックと富士フィルムの比較がある。両社は、半世紀以上前はカメラのフィルムメーカーとして有名であった。もっとも,コダックと富士フイルムを同列に置くことには抵抗があるかもしれない。1960年代の私の経験では、コダックのフイルムは高級品であった。

 しかし、現在のディジタルカメラ全盛の時代にはフィルムメーカーの生存は難しい。そこで、両社の明暗が分かれていく。コダックは2012年に倒産し、富士フイルムは化学的な技術力を薬品や化粧品の分野に展開して、日本でトップクラスの大手企業の地位を保っている。ただし、コダックは倒産したが、コダックからスピンアウトした会社は高度な技術力を持って、ヘルスケア分野でも富士フイルムに負けない活躍をしている。

 さて、ここでもう少し考えてみたいのは、スピンアウトする必要性である。逆に言えば、多様な拡張を受け入れる組織力についての議論である。

 私が提案したいのは、

「組織にも個人と同じようにスキルがある」

と言う観点での議論である。つまり富士フイルムには、

「新しい分野へ拡張する『組織のスキル』があった」

と言う観点で考えてみた。

 この議論で、私が最初に思い出したことは、日本で初めて動いたコンピューターのはなしである。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/FUJIC

これは、富士フイルムがレンズの計算のために作ったコンピュータである。このように、

「基礎研究を大事にして、関連分野まで手を出す」

会社の度量があった。これが一つの組織のスキルだと思う。

 さて、私が今回表題にしたT型のスキルと言うことについて、もう少し説明しておこう。T型という話は、人材開発で

「専門分野を深掘りするI型の力と、幅広い知識を受け入れる一型の力」

の両方を持つことを言う。しかし、組織の場合にはもう少し意味が広がってくる。まず

「一つの分野を深掘りしブレークスルーするI型の力」

「ブレークスルーした成果を安定した実用化に育てる一型の力」

の両方があるとき『T型のスキル』を持っているという。

 ここで大事なことは、ブレークスルー自体は可能性を開く段階であり、これは一人の才能で突っ走ることが効率が良い。しかし、安定した技術にして、商品化できるまで持って行くためには、色々な目で見ながら育てることが大切である。このような、個人プレイとチームプレイの融合、相乗効果がT型スキルの特徴である。

 このアイデアについてもう少し深めていきたい。

2019年9月14日 (土)

千葉県知事に東電を責める資格はあるのか

 台風の被害関連の話、昨日までの記事で終わりにするつもりだったが、色々と気になるのでもう少し書く。

 昨日の記事:http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/09/post-a4bfed.html

 1昨日の記事:http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/09/post-c89fed.html

 昨日のNHKの夜9時のニュースで,停電復旧の状況を放送していた。テレビ中継の現場では、何かの建物の屋根が飛んできて,電柱にぶつかり倒していた。NHKの放送では

東電からの連絡を受け、県に発注された業者が、
屋根を撤去(溶接機で切断等の大規模な作業)した後、
東電が作業に入る。

と言う風に報じていた。

 ここで大切なことは、

このような建物の崩壊や、飛散物や倒木の状況を
把握するのは、
まず道路などインフラを管理する、
国や地方自治体の仕事である」

と言う大事なことを、NHKも報じていない。また、県知事も停電復旧の遅れに「遺憾の意」などと言っているが、自分たちがすべきインフラ復旧の遅れで、東電にわびる姿勢がない。その前に気がついていないのだろう。

 台風の被害というなら、まず家屋の被害、道路などの状況、このような情報をきちんと把握し、対策を練るなり、支援を求めるのが、地方の首長の仕事ではないか?消防などから上がってくる情報を集計し、どのような被害状況か報告し助けを求める。

 また現状把握が難しいなら、自衛隊などの応援も善いだろう。ヘリやドローンを使って写真撮影し、その情報を解読し、被害状況を推定する。このような偵察作業は自衛隊の力にはあるだろう。

 最後に、NHKニュースに戻って、もう一つ苦言を呈しておきたい。NHKも停電状況を詳細なグラフで表示していた。しかし、家屋崩壊の分布や、道路などの状況は、部分的な映像に止まっている。東電は電力供給のため詳細な地域状況を掴んでいるから、東電から得た情報だけを放送しているのだろう。しかし、本当に必要な、被害家屋の統計的状況や、交通インフラなどの被害状況の全貌を取材し、提示することも大事だと思う。また

「千葉県がそのような情報把握するだけいていない」

このことも大きな情報だと思う。 

2019年9月13日 (金)

地方自治体に『東電を責める資格』はあるのか?

 昨日書いた、事故復旧の責任分担に関して、マスメディアや、地方自治体の首長のいかがと思われる発言が出てきたので、苦言を呈しておきたい。

 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/09/post-c89fed.html これが昨日の記事

昨日の記事で言いたかったことは、災害復旧に関する責任を、一般企業にどこまで負わせるか、国や地方自治体がどこまで負うべきか、と言う議論ができていないという話である。

 しかし、今回の状況では、もう少しこの話を踏み込んで議論すべきだと感じた。まず、千葉市長などの発言である。

 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190912-00000139-kyodonews-soci

確かに、地域の立場としては

「甘い見通しでの発言は困る」

と言いたい感情は解る。

 しかし、現在の復旧状況などを見れば、倒木処理など、電力会社の範疇を超えたところに障害が出ている。本来電力会社の復旧作業は、

「道路などのインフラが整った状況で、自社設備を修理する。」

仕事であり、通行困難な道路の切り開きまで入っていないはずである。本来これは、国や地方高級団体の作業である。これを考えると、地方公共団体の首長は、東電に対して

「整っていない環境で作業させて申し訳ない」

と謝罪すべきであって、

「そのような状況での作業にお礼」

と感謝すべきである。それをせずに、復旧の遅れだけを追求する姿勢は、おかしいと思う。

 また、今朝の朝日新聞の社説も同様に

「東電の経営体質が事故を大きくしたのでは?」

という感じで書いていた。確かに設備老朽化問題はあるが、今必死で作業している人のモラル低下につながる追求はいかがかと思う。朝日新聞には、東電追求という『信念』があるのかもしれない。

 一日も早い停電復旧と、作業者の無事をお祈りします。 

2019年9月12日 (木)

今回の台風被害について

 先日の台風被害による停電は、まだ復旧していない。しかも雷雨が追い打ちになっている。このような厳しい状況で、現場作業を行っている方々のことを思うと胸が痛む。私も、昔はインフラ関係の設備の仕事に携わったことがあり、このような悪条件での緊急作業の厳しさは、身につまされる。阪神大震災の時には、その前に発注先でともに働いた方が、多忙な中での自殺と言う経験もあった。

 今回の作業においては、福島原発事故の政権の様に、口出し邪魔しないように政府はきちんと対応してほしいものである。自分でできないときには、まずは邪魔をしない。その上で、支援できることは行う。特に指揮権の混乱を避けるためには、当事者である東電に任せることが大事だろう。

 また、マスメディアも邪魔しないようにしてほしい。特に、朝日新聞の一部には、信念を持って

「独占資本の東電は悪である」

と書こうとする人がいるように思う。少なくとも福島原発事故の報道では、吉田所長の発言などをねじ曲げて報道した前科がある。このような、

「必死で働く人の足を引っ張る」

行動は、皆で監視しないといけない。

 さて、このような災害に関して、もう一つ議論すべきことがある。それは、

「民間企業にどこまで社会インフラの安全確保責任を負わせるか?」

と言う問題である。昔の、

「地域の電力供給を独占的に担う」

立場なら、

「全て責任を負わせる」

ことは当然と言っても善いだろう。しかし、自由化している以上は、その論法は通用しなくなる。ましてや

「内部留保を吐き出せ」

とまで言われると、人員の余裕もなくなってくる。

 このような、

「企業側が緊急対応をどこまで行うのか」
「そのための力をどのように確保するのか?」

と言う問題は、『自由化』推進と一体できちんと議論すべきである。

 極端な話、今回の復旧作業は、誰が発注するのだろう?千葉県だろうか?東電の責任範囲を超えた部分がある以上は、そのような公共の責任も考えるべきだろう。

 また、もう一歩踏み込めば、

『このような災害対応は、自衛隊に主導権を持たせる」

と言う極論もある。自衛隊の設営能力を拡大していくと、そのような発想もあるだろう。

 緊急時の安全確保という議論を、もう一度見直すときが来ていると思う。

2019年9月11日 (水)

歴史の記述と現場での情報

 昨日は歴史の見方に、『進化』という観点をどのように関わらせるべきか、少し考えてみた。

 さて、今回は少し見方を変えて、『歴史になったときの変化』についてもう少し考えてみたい。一つの事例は朝鮮戦争の扱いである。現在の歴史教科書的な記述は、

1950年6月25日金日成率いる北朝鮮が事実上の国境線と化していた38度線を越えて韓国に侵略を仕掛けたことによって勃発した

という風に。北の『侵略』という表現が定着している。

 しかし、1980年ぐらいの、日本のマスメディアには

当時日本でも、1950年代から1960年代にかけて米国による陰謀説など、共産主義イデオロギーによる決め付け的な内容のものが多々あった[7]。左派・革新系研究者遠山茂樹今井清一藤原彰共著『昭和史』(岩波新書、1959年)では、「米空軍戦闘機部隊は北九州に集結していた。そして北朝鮮が侵略したという理由で韓国軍が38度線をこえ進撃した」と主張した[254]。親北派の学者寺尾五郎も北朝鮮による先制攻撃ではないと主張した[255]。これについて井沢元彦は、北朝鮮は正義で、悪いのは韓国でありアメリカ帝国主義であると考えるように、近現代史学者の一部は、大切なのは「真理」ではなく「イデオロギー」であるだけであると批判している[256]家永三郎は、「朝鮮戦争」(アメリカの侵略による)と記した[257]高山正之は、マスコミでもNHK磯村尚徳が番組で「北が南に攻め込んだ」と語ったことに在日朝鮮人が騒ぎ出し、彼らに同調する土井たか子が抗議、番組内で謝罪するに至ったと述べている[258]

と言う風に、アメリカ陰謀説が幅をきかしていた時代もある。

 これらの引用はウィキペディアの朝鮮戦争から。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/朝鮮戦争 

 さて、ここで大切なことは、この議論のどちらも

「一方が悪い!」

と決めつける扱いになっている。歴史においては「善悪」を定める必要があるかもしれないが、当時を生きていた人間としては、物事はそれほど単純には考えることはできない。

 確かに戦争の発端は、「北朝鮮の軍事侵略」である。これは間違いないが、もう一つ考えるべきことは、当時の韓国の状況である。つまり、

「当時の李承晩政権の支配よりは、北の金日成の支配下の方が、生活がまだ善い」

と見ていた人が多かった。北の侵略には、それなりの勝算があった。

 このような、

「勝者である韓国の悪い面はかき消した歴史」

が残っていくのは、避けるべきではないかと思う。

2019年9月10日 (火)

歴史を見るときに「進化論」の発想で見るか?

 歴史の勉強などにおいて、『進化論的発想』が邪魔をすることがある。つまり、

「今の制度は,昔の制度より良くなっている」

と言う発想が、

「昔の良さを見逃してしまう」

とミスリードする危険性がある。もう少し言えば、

「現在の支配者の正当性を示すために『前より進化した』という」

場合もある。

「歴史を記述するのは勝者である」
従って
「勝った者が正しい」

と言う歴史観が横行している。この一つの流れで『進化論』を考えると、前の時代の良さをを捨てる危なさがある。

 歴史を見るときには、

「その時代の状況を見て,その中での善悪判断を行う」

ことが大事である。ただし、歴史の目で見るのだから,長期的なスパンで評価することも大切である。

 しかし、現在社会を見るときには、

「社会が進歩している」

と思うことも大切である。もしこれがないと、

「昔は善かった」
から
「今は不幸だ」

と言う,恨みが出てくる。例えば、『バブル期』の贅沢を懐かしむ人ばかりなら、今の日本社会は壊れてしまう。特に既得権益への恨みなどが社会に蔓延し出すと、破壊的な結果になる可能性がある。

 現在社会を見れば、昨日の台風があれほどの強風であっても、死者はかなり少ない。ニュースのトップが交通混乱というレベルである。このような『安全・安心の社会』については『進化している』と考えるべきだと思う。

 

 

2019年9月 9日 (月)

内定辞退の対策はビジネスチャンスではないか

 昨日書いた、内定辞退の話に関して、もう少し別の面から考えてみた。

 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/09/post-f9a62c.html

昨日も書いたように、内定辞退者の問題は、採用側にも大きな負担になるし、就活生側にも『内定のハードルをあげる』という負担を強いている。

 そこで、先日は『お上の力』での仲介の可能性について、少しばかり議論をした。今日は、これを一般企業が、ビジネスとしてできないかもうすっこし考えてみた。

 例えば、R社が『内定辞退のリスク』を売ったと言うことで、批判されている。確かにこれは情報の悪用である。

 しかし、これを逆転してみよう。

「内定者の入社確実度の保証」

を、売るというビジネスは、世の中で批判されるであろうか?これは、色々な法的な規制もあるだろうが、世の中からの批判をそれほど受けるとは思わない。

 確かに、

「保証したのに辞退された」
「保証してくれ他のに内定が出ない」

と言うトラブルは発生するだろう。

 しかし、このような『就活における就職と定着』までをきちんと面倒を見る、

就活仲人業

はこれから必要になっていくのではと思う。

2019年9月 8日 (日)

内定辞退について

 採用において、「内定辞退」の対策は大きな問題である。R社が,「内定辞退の確率」を計算し企業に売った。このことが今,社会的に大きな問題になっている。確かに、就活者の応援をするエージェントが、就活生を勝手に評価し、状況によっては『悪評価』につながる情報を売ることは、裏切り行為であり,許されることではない。これに対して,厚生労働省から厳しいご指導があったのも当然のことである。

 しかしながら、この問題に関して、もう少し深掘りをして、本質的な問題点を明らかにし、対策を考える価値があると思う。私の知っている子は、内定を確定させるために二ヶ月ほど一つの会社の選考やインターンシップを繰り返した。結局その会社で働いたが、その会社では、

「辞退が怖くて内定を出すのに躊躇していた」

ため、長く選考の作業が続いていた。中小企業の経営者は、一度「辞退」などの経験があると、臆病になりそれ以降の選考に影響する。つまり、内定に躊躇してしまう。

 このような状況は、採用する側、される側の両方に多くの負担を強いる。無駄遣いである。

 さて、この原因を考えてみよう.一つの仮説は、就活の学生側に

「就活を大学受験の延長で考えている」

つまり、

「よりよいところがあれば乗り換える」
「すべり止め感覚の内定獲得」

と言う発想があるのではと思う。しかし、大学受験は受験料を払い、その範囲の負担で大学が行う。採用は、会社としても多くの負担があり、軽々しく、冷やかされては困る。

 このような状況を改善するためには、就活を

「結婚のための出会い」

と考える。更にもう少し言えば

「仲人がしっかりした見合い」

と言う形に持って行ければよいと思う。

 一つの提案は、厚生労働省などの仲介による就職という形で、お互いがきちんとする。学生側は、安易な辞退はできない.一方、会社側も就職後もトラブルがあれば、厚労省まで報告する。このような形で、ブラック企業排除が行われるようになる。

 多分この形の就職支援は、

「就職氷河期の人材の、再就職支援」

という形で、まず実現するだろう。この場合には、ハローワークなどが就職後の支援や、見守りを行うだろう。このような

権威ある仲人を介した就活

が必要ではないかと思う。

 このためには、人材育成や体制整備も必要であり、厚労省に頑張って欲しい。

http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2019/09/post-aa2bc5.html

2019年9月 7日 (土)

学校に依存しすぎているのではないか

 あるところで、貧困家庭の子が、

「小学校の3~4年の算数をわかっていない。」
「この子の将来が心配」

と言う話を見た。これは、大きな問題である。しかし、60年ほど前の私の経験では、

「算数の問題が解けない」

子は4年ぐらいにはいた。

 ただし、この子達の多くは

「買い物のおつりは間違えない」

と言う、生存上のスキルは身についていた。

 現在は、学校教育が行き届き、

「誰でも理解できる」

と言う目標で教えている。これが逆に、

「学校教育から外れたら全てがだめ」

と言う空気になっている。更に、社会制度も数値化した情報で動くようになってきている。これも学校教育から外れられない原因の一つである。

 しかし、もう一つの要因もある。1960年代を考えると、多くの店では人間が対応していた。そこでは子供の買い物の時、計算間違いしても教えてくれる、「優しいおばちゃん、おっちゃん」がいた。このような、学校以外でも育てる仕組みがあったことも、忘れてはいけないと思う。

2019年9月 6日 (金)

パロディ 週刊○スト しっかり文章を読めない『日本人という病理』 

 週刊ポストの記事に対する色々な反応を見て,思わず作ってしまった駄作です。

 日本の国会では、多くの議員は

週刊B春や週刊S潮の記事を信じて質問する。」

状況であり、しかもその大部分は

本文を読まずに広告の表題だけ

で質問するレベルである。

 なおこれは国会議員だけの話かと考えると、某新聞の記事によると、

週刊誌の記事に反発する『知識人』達も
広告を見ただけで反対している

と言う人が多い状況である。

 また、マスメディアの中にも

XX日発売の週刊誌の記事によると!」

と言う形で報道している場合も見かける。自力で取材するというメディアの基本が失われたのか、権力におもねって報道を控えていた情報を,出すタイミングを週刊誌任せにしている。つまり、『報道者や編集者のプライドを忘れた』人が多くなっている。

 ここまで,情報があると、

文章を読み込めず広告文書に自動反射する日本人の病

という記事を載せてくれる週刊誌はないかな?

 なお、このブログの特徴である,原因解明をきちんとしておこう。このような状況の一つの原因は、

就職試験は高速に大量の情報を処理する能力を重視する

にあると思う。表題だけで内容を推測し,反射的に行動する。このような人材を重視するのが

日本人という病理

だろう。

2019年9月 5日 (木)

無意識の選択について フロイトの見直し

 精神分析と言えば、今では「古くさい考え」と言う人が多いだろう。しかし、

「自分の意識に上るモノを、無意識のうちに選択する」

と言う発想は、今でも検討に値すると思う。このような発想は、古くは仏教の教えで、「唯識」などの教えは、

  1. すべての宿業などが入っているアラヤ識
  2. 意識に上るモノを選ぶマナ識
  3. 色々と考える舞台の意識

と説いている。このマナ識の働きに相当する、情報の選択機能に関しては、現在の私たちはもう少し考えるべきだと思う。

 フロイトの場合には、

「人間の欲を性欲主体に捉え、これを道徳などで『抑圧』して、
意識に上らせないようにしている。」

と言う発想だが、唯識の教えでは、貪欲・瞋恚・痴愚の煩悩により、意識が偏り本質が見えていない。ここで、

「煩悩を押さえることで、本質が見える」

と教えています。六根清浄とも教えています。

 さて、現在は、煩悩を押さえるために、学校などの教育が色々と行われています。このような道徳等の規範も、私たちの意識に上るモノを『無意識』の内にコントロールしています。このような、意識していないで、検討から落としてしまう危険性を見直すことが、現在必要になってきます。 

 一般意味論では、『抽象の梯子を下れ』と具体的現実を観ることを要求し、そこでの気づきを求めます。しかし、もう一歩踏み込んで

「抽象化する仕組みをきちんと観て、何を選ぶか考えよう」

が現在必要なことではないかと思います。

2019年9月 4日 (水)

もう一つの「表現の不自由」

 『表現の不自由』という言葉が、色々と出ている。そこで、年寄りの繰り言になるが、今まで経験した『表現の不自由』を少しあげておきたい。

 まず、私が感じる『表現の不自由』は、言葉にできないモヤモヤとしたモノである。上手く表現できない、適当な言葉がない。このような感じのまま

「言いたくてもいえない」

と言う状況を経験した。次に、なんとか言葉にできても、

「そのような考え方はおかしい」

と否定去れ、押さえつけられる経験があった。このような『表現の不自由』に対して、ネット社会ではかなり、自由になってきたと思う。

 さて、今話題になることの多い、朝鮮半島関連の表現の自由に関して、上記の観点からもう少し歴史的に見てみよう。

 まず1950年代~60年代の話は、どちらかというと韓国への反発が多かった。これには、敗戦直後の引き揚げ者の話や、各地区での朝鮮半島出身者の暴力行為の話が、色々と伝わっているが、新聞などのマスメディアには、あまり報道されていなかった。一方、

「李承晩ラインに関する拿捕の話」

は色々と報道されていた。この時期は、どちらかというと、

「北朝鮮の悪口を言ってはいけない」

と言う空気があったように思う。

 次に、日韓の国交が正常化した後は、しばらくは

「韓国の軍事政権のことをよく言ってはならない」
「北朝鮮を悪く言ってはならない」

と言う空気が、特に進歩的な知識人から流れ、マスメディアもそれに同調している向きがあった。拉致事件の解決に関して色々な圧力があったのもこの文脈である。

 このような空気による『表現の不自由』は、マルクス主義教育が横行していた時代の流れと一致しているように思う。

 学生運動の時代には、彼らに押さえつけられる経験をした人間は少なくないと思う。

 さて、このような時代から、

『韓国の悪口を言ってはいけない」

と知識人たちが言い出したのはいつだろう。やはり小泉訪朝で、拉致問題が明確化した後だろう。

 今、『ネット右翼』が色々と批判されている。しかし、ここまでの『表現の不自由』の反動で考えると、ある程度見えてくるモノがあると思う。 

2019年9月 3日 (火)

支配のパタン

 韓国の関連で、儒教や支配と言うことについて、少し考えを巡らせてみた。私見であるが、支配には4つのパタンがあると思う。

  1. 儒教的な権力を人徳などに起因する
  2. 納得させて支配する
  3. 科学的予測で支配する
  4. 総合的なストーリーを描き巻き込む

ここで、1.の儒教的支配は、中国や韓国に見る「人徳のある人間の支配」という発想である。もう少し言えば、支配階級の優越性を、「人徳」などの理由付けしたモノである。この発想は、下級階層への無理を押しつけることにもつながる。特に、李朝朝鮮は、地域の支配者を、科挙合格者にして、しかも有期限の配置にした。そのため、「自分のいる間にできるだけ領民から巻き上げる」発想が横行している。

 一方、2の納得による支配は、我が国の「聖徳太子の十七条憲法」に始まる、「話し合いによる納得」という制度である。これは、更に武家社会でも「一所懸命」の支配者は、領民の納得を得るような支配を行うことが多い。継続してその土地を支配するなら、一時的な強奪発想は通用しない。これは、ある程度の安定時期には、効果を発揮する。例えば徳川の平和がこのパタンだろう。

 さて、変革期などになると、科学的な予測で、今までの延長以外の状況に対応することも必要になる。急速な工業化などが一例である。徳川の支配は、黒船による急変に対応できない。このような科学的な発想は、「ある程度当たる予測」の力で、多くの人を従えた。

 しかしながら、科学的な発想にも穴がある。そもそも西洋文明的な科学は、ギリシャ文明の子孫であり、「プラトンの洞窟の比喩」の諦め発想がある。つまり「簡略化し解ることだけ議論する」発想である。単純化して考える。数値化するモノだけを見る。この弊害が、色々な面で出てきた。

 そこで現在必要なモノは、全体像を描き、その上で話を展開する、ストリー作りと、それを皆で共有する形で作り上げる、支配である。一方、個々人の状況を見ながら、適切な支援を行う、「親の立場」での、思いやりも必要になる。

 このような、親の立場で思いやり、皆の受け入れるストーリーを作り、実現させていく。これが新しいリーダーシップではないかと思う。

2019年9月 2日 (月)

上手くいかない理由をどのように考えるか

 「日本の経済発展のためには最低賃金を上げるべき」

と言う意見がある。この意見に私は賛成だが、提案者の言うことを聞いているとまだ考えが甘いように思う。私はこの問題の根底には

「人件費削減でしか利益を生めない経営者の排除」
つまりマルクスの言う
「搾取的発想の経営者排除」

と言う発想があると考えている。『排除』と言えばきつすぎるなら『淘汰』と言ってもよい。竹中平蔵などが言う

「市場原理による淘汰」

は同じ発想である。つまり

経営者は独自の力でブレークスルーし利益を生み出すべき

と言う理想を、市場原理で実現できると考えている。

 しかし、実際にはこのように問題は簡単にいかない。

国内での労働力確保が難しいなら海外で
または外国人労働者

と言う抜け道探しが始まる。または、政治家に運動して補助金などを探る。

 このようにして『ゾンビ企業』が多く生き残ってしまう。小泉行革=竹中平蔵の改革も同じように中途半端である。

 この問題を考えるとき

理論的に正しいモノが実行できない

と言う状況の解決が必要になる。これには多くの要素が絡むが、二つに分けると次のようになる。

  1. 検討者は深く突き詰めながら周辺まで考慮しているか
  2. 多くの人を巻き込むことを考えているか
    1. 同士を増やす工夫
    2. 多くの人にわかりやすく展開する
      または簡易的なモノに変える

このような大衆化の努力も必要だろう。この良好事例は、大阪の行政改革だろう。橋下徹というキャラクターに加えて、維新の原動力になった人間が動いている。更に大衆の理解しやすい政策も提示している。このような総合的な動きが、本当の政治だと思う。

2019年9月 1日 (日)

日韓問題の解決に向けて

 韓国が色々と,日本の歴史認識について言っている。そこまで言うなら、きちんとした歴史議論を行ったらどうなるか、一度しっかり考えてみるのも善いのではと思う。

 まず我々が知るべきことは、韓国の歴史教科書は、政治的な意図で色々と書かれていると言うことである。竹島問題に関しても、本当の起源である『李承晩の暴政』関連であることは、口を拭っている。このような『政府の都合の良い歴史教育』を行っている国相手と言うことを、念頭に置いて議論を進めるべきである。

 もう一つ、我々が知っておくべきことは、韓国における儒教精神の影響である。日本人の多くがイメージする儒教は、

「論語主体の道徳的によい話」

である。しかし、韓国の儒教はそのようなモノではない。彼らの儒教は朱子学である。この本質は、

「支配者の立場を正当化するための学問」

である。これが彼らの潜在意識にあることを、理解しないといけない。特に、易姓革命の思想を理解することも重要である。私たちは、知識として「孟子の易姓革命」という言葉ぐらいしか知らない。しかし、韓国のような国では、「易姓革命」は国家の存在意義を示す重要な概念である。つまり

政治を行う者は、天がその徳を認めた者である。
徳を失ったときに革命が起こり王朝が交代する。

と言う考えが根底にある。これを理解すると、韓国の「前の大統領」は、悲惨な立場になることがよくわかるだろう。

「後任者は、前任者の『不徳』を証明することで自らの存在意義を示す」

これこそ易姓革命的な政権の説明である。

 この話をもう一歩進めれば、

「韓国が日本の統治を執拗に責める」

理由も見えてくる。

「日本の統治が不道徳だから韓国が成立した」

これをなんとしても言いたいのである。

 これには、もう一つ韓国のコンプレックスがある。韓国は日本と戦って独立した国ではない。従って、サンフランシスコ講和条約にも参列できていない。このときに、アメリカなどに馬鹿にされたトラウマがある。

 また、朱子学的な支配社会では、科挙制度による社会の分断がある。つまり科挙合格の『上流階級』による支配である。現在も、学歴偏重などの側面でこれがまだ残っている。

 これらの、朱子学の弊害を除去し、冷静に歴史認識を行うことで、韓国は本当の民主化社会を得ることができると思う。今の状況は、政府などの特権階級と、一般庶民との分断がまだあるようである。

 さて、このような『歴史認識』をきちんとできるように、日本のソフトパワーで情報発信を行うことが、今までナゼできなかったのだろう。

 この理由は簡単で、北の脅威があり、アメリカが韓国を必要としたからである。しかし現状の文政権は、アメリカからも見放されている。もっと言えば、このような大統領を選ぶ国の制度にも、アメリカが疑問を持っているだろう。

 この機会に日本から、徹底した情報発信を行うことは有効だと思う。

 こうして『朱子学の弊害を除去すること』が、本当に韓国のためになると思う。

« 2019年8月 | トップページ | 2019年10月 »