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2019年9月 5日 (木)

無意識の選択について フロイトの見直し

 精神分析と言えば、今では「古くさい考え」と言う人が多いだろう。しかし、

「自分の意識に上るモノを、無意識のうちに選択する」

と言う発想は、今でも検討に値すると思う。このような発想は、古くは仏教の教えで、「唯識」などの教えは、

  1. すべての宿業などが入っているアラヤ識
  2. 意識に上るモノを選ぶマナ識
  3. 色々と考える舞台の意識

と説いている。このマナ識の働きに相当する、情報の選択機能に関しては、現在の私たちはもう少し考えるべきだと思う。

 フロイトの場合には、

「人間の欲を性欲主体に捉え、これを道徳などで『抑圧』して、
意識に上らせないようにしている。」

と言う発想だが、唯識の教えでは、貪欲・瞋恚・痴愚の煩悩により、意識が偏り本質が見えていない。ここで、

「煩悩を押さえることで、本質が見える」

と教えています。六根清浄とも教えています。

 さて、現在は、煩悩を押さえるために、学校などの教育が色々と行われています。このような道徳等の規範も、私たちの意識に上るモノを『無意識』の内にコントロールしています。このような、意識していないで、検討から落としてしまう危険性を見直すことが、現在必要になってきます。 

 一般意味論では、『抽象の梯子を下れ』と具体的現実を観ることを要求し、そこでの気づきを求めます。しかし、もう一歩踏み込んで

「抽象化する仕組みをきちんと観て、何を選ぶか考えよう」

が現在必要なことではないかと思います。

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