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2019年9月24日 (火)

現在のトラブルに宝生如来の智慧で対応

 先日書いた、唯識思想の話について、もう少し考えてみた。

 私の考えでは、現在の情報過剰世界では、情報選択を行う「マナ識」の働きについて、もう少し注意すべきだと思う。このような情報選択は、既にインターネット上で発生している。SNS等のフィルターバブルでは、自分が今まで見た情報に近いモノが提供されるようになっている。確かに、私が見るページでも、前に見たページに近い情報が、検索の上位に上がったり、ポータルサイトのおすすめ記事に載ることが多い。このようになると

  • 安倍首相はけしからん
  • 今の政府はよくやっている

の両極端が、それぞれ自分の好みの情報を見るようになっていく。こうした弊害が発生している。

 ただし、マナ識の無意識的な情報選択は、大切な機能があることも確かである。例えば、一部の発達障害者には「知覚過敏症」が症状としてでることがある。聴覚でこれが出ると、

「色々な音が迫ってくる。蛍光灯の音、冷蔵庫の音など・・・」

と言う状況である。この症状を持っていない人には、理解が難しいだろうが、私たちは耳で聞いた情報を、色々なフィルターでより分けている。つまり「意味のある情報」だけを聞こうとしているのである。騒がしい中でも、自分宛の声は聞こえる、と言う現象もこの効果である。この機能が育っていないから、「発達障害」と言われるのである。

 さてこのような聴覚過敏の人が町に出るときはどうするか?現在の技術で、「ノイズキャンセラー」というモノがあり、ヘッドホンを通して、聞きたい音以外をキャンセルする機能がある。このような道具に支援されて、なんとか生活している人もいる。

 しかし、世の中には、

「人と話すときにヘッドホンをしたままの無礼な人」

と決めつける人もいる。

 このような人には、

「自分と違う条件で、色々と必要なモノがある人がいる。」

と知る智慧があれば、もう少し思いやりができるのではないかと思う。

 マナ識が智慧に転じると、

平等性智

となり、これを仏の形で表すと

宝生如来

となる。一切の垣根を取り払い、平等に見ることで、宝を生み出す。現在社会に必要な思いやりの根底に、このような人それぞれの事情について理解し、平等に見ることが大切ではないかと思う。

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