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2019年10月18日 (金)

日本語の歴史にお経の影響

 ちくま新書の沖森卓也著:日本語全史 (ちくま新書)を読んだ。

 この本は、日本語の歴史の全貌をまとめた新書と言うことであるが、なかなか素人には読みにくい。ある程度入門的な配慮はあるが読みづらかったのが正直なところである。しかし私が今まで気がつかなかったことを色々と教えてくれた。

 そのうち一番大きかったのは、万葉仮名のルーツに、お経の陀羅尼の部分が影響しているという話である。これは言われてみれば納得するというか気がつかない自分が馬鹿であった。つまり、お経のなかには元々の,インドから伝わった「陀羅尼」つまり「ご真言」の部分がある。この部分は、本来は梵字(サンスクリット)で書くべきであるが、これを漢字の当て字で音だけ拾って表現している。これを知っていると、漢字が全てではなく、音を表す道具として使ってもよいと解る。

 真名、仮名の区別には「真の文字」と「仮の文字」と言う意味があるが,仏教の教えに従えば,お釈迦様の使った「真の文字」は梵字であり、漢字は相対的な位置にしかない。これを考えると、僧侶の間でカタカナが普及したと言うこともよくわかる。

 さて、もう一つの発見は,「五十音」と「いろは歌」の時代背景である。この本の主張では、「五十音」の方が先にできて「いろは歌」は、発音の変化などから見れば後からできたモノだと言っている。これは、今まで信じていたこととは違っている。先入観かもしれないが,「五十音」のような整理された形は、後からできるモノと思い込んでいた。しかしよく考えれば、空海が真言密教を日本に持ち込んだとき、サンスクリット語の概要は持ち込んでいる。そこでの母音子音の知識があれば,日本語の五十音は作れないことはない。

 このように考えると,真言宗の中では,五十音が比較的早く作り出されて,それを「永遠に生きる弘法大師」の力で授かったというのは不思議ではないと思う。いろは歌が、弘法大師の作品というのは,色々と無理があるそうだが、仮名文字を広め,漢文教養を相対化するための権威として、弘法大師を使ったのはあると思う。

 難しい本だが読んだ価値はあったと思う。

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