ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« 「音楽を外に連れ出す」ために必要なモノ | トップページ | 小学校時代の繰り返し鍛錬の効果 »

2019年10月21日 (月)

天才の育て方について 「蜜蜂と遠雷」から学ぶべきモノ

 ここしばらく書いている、「蜜蜂と遠雷」の映画と書籍を、比べると天才の育て方について、面白いモノが見えてきた。なおここから先は、ネタバレに属するモノがあるのでご了承願う。

 まず、書籍の中での、栄伝亜夜に関しては、とても優しい保護者である奏がいる。彼女自身バイオリン奏者であるが、ヴィオラに転向する意思を示している。主役でないが重要な役ヴィオラ、これが奏の立場を象徴している。このような優しさに包まれて、塵とマサルという二人の天災の影響を受け、亜夜は無事開花していく。ただし、書籍では塵に関する書き込みが深い。

 一方映画では、亜夜は孤独であり、一人で戦っている。それどころか、審査員の嵯峨三枝子が、厳しく崖から突き落とす。

  • 元天才少女としての助言
  • 引き返すなら今が最後のチャンス

この一言は重い。単純に考えれば

「音楽の世界で演奏者として生きていけるのは少数、諦めなさい。」

と言う平凡な助言と思ってしまう。しかし、この映画の天才の扱いからすれば、

「一度、神の音に近づいてしまうと、その音楽に到達できないと言う地獄の苦しみに遭う。
その地獄に落ちる前に踏みとどまるなら今しかない。」

という、「地獄を観ている元天才少女」の重い言葉が聞こえてくる。

 ここまで、追い詰めることで、自らの気づきで突破させる。それには、「ギフトであり劇薬かもしれない」塵がいる。このような厳しい親の働きも、天才の育成には必要かもしれない。

 なお、「蜜蜂と遠雷」には、その周辺をきちんと書いた「祝祭と予感」という本が出ている。こちらを読むと、もっと見通しがよくなる。

« 「音楽を外に連れ出す」ために必要なモノ | トップページ | 小学校時代の繰り返し鍛錬の効果 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 「音楽を外に連れ出す」ために必要なモノ | トップページ | 小学校時代の繰り返し鍛錬の効果 »