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2019年10月 6日 (日)

概念の力 発達障害の方の苦労を思って

 先般から書いている発達障害の当事者の話、例えばつながりの作法 同じでもなく 違うでもなく (生活人新書)を読むと、多様な現実からの情報を、一つの概念にまとめることの効果の重大さに気がつく。

 このことを意識して、今までのことを見直してみた。

 一つ目の経験は、中学校で初めて英語に接したときである。私たちの時代は、現在のような各種教材もなく、せいぜいラジオ講座の基礎英語を聞く程度であった。しかし、そこで英語の発音練習をしたとき、今までなかったFやTHの発音を聞くとき、講師により色々とあることを意識していた。これらの音が入ってきてどれをまねするのだというのが、最初の感想である。しかし、何度か聞いていると、FやTHと言う枠ができてくる。自分がそれをFの発音と思うようになってくる。すると今度は、個人の発音の違いが気にならなくなる。逆に違いがわからなくなる。このような経験があった。

 さてもう一つは、現在になって思い出す話だが、小学校の頃

「定規で線を引く」

作業をしていた。そこで例えば

「5センチの線を引く」
と言う問題を出されたとき、
「正確な5センチでなくても○をもらえる」

と言う経験をした。そこでも何か「ひとまとまりで扱う」という経験をした。この原体験があったから、中学で幾何を習ったとき、直線という概念をスムーズに受け入れ、「同じ」と言うことが受け入れられたのではないかと思う。 

 このような、概念形成の働きをもう少し大切に考えるべきではないかと思う。

 仏教の唯識論では、私形が考える意識の他に、色々な情報を選別しまとめるアマナ識、何でも入っているアラヤ識を考える。今まで、アマナ識については、煩悩で惑わされるような、悪い印象があったが、心の負担を減らす重要な働きがあるように思う。

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