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2019年11月29日 (金)

分散情報を使いこなすためにはまず全体像が必要

 先日書いた、AI活用による分散情報の活用に関して、もう少し考えてみた。IT化が進み、多くの情報が公開され、色々な立場からのアウトプットは容易に行われるようになってきた。その情報を探し出すことは、現在のAI でもできるだろう。現実に、私もFacebookやYahoo等のお勧め情報を見ていると、今までなら興味を持って積極的に検索しないと見つからなかった情報が、自動的に目に入るようになってきた。

 しかし、このように与えられる情報は、そこだけではまとまっていても、自分が使えるようにはなっていない。自分のためにはもう少し加工が必要である。もう少し言えば、自分の思っている大枠のなかに、上手く位置づけされないといけない。私は、これを「七夕の飾り」の例えで説明している。子供に、いきなり七夕の飾りを創れと言っても、竹を手に入れるところから始めると難しい。しかしながら、

「適当な竹の枝を切り、短冊や飾りを少し付けておく」

これを見た子供たちは、

「自分で短冊や飾りを創り、追加して」

きれいな飾りに仕上げる。このように、全体像ができてからは、多くの小さな力が自然に加わってくる。これを、

「プラットフォームを創る」

と言う人もいるだろう。

 私は交流分析で考えると、全体像を創るのは親の立場、部分的な貢献はこの立場が据わりがよいと思う。

 さてここで

「AIが全体像を創ることができるか?」

が大きな問題になる。私は現状の方式では難しいと思う。ただし、ここで『創る』と表現したことに注意してほしい。現在のAIの延長でも、

「類推能力を持たすことは可能」
だから
「他の良好事例を持ってくる」

形で、全体像のたたき台を提供することは可能だと思う。ここまでできれば、ブラッシュアップしていくことで、全体像まで作れる可能性はある。

 このように考えると、

「AIに負けない人間は、総合的に考えて、全体像を創り出す人財」

ではないかと思う。

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