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2019年12月 6日 (金)

歴史を学ぶことは先人に敬意を表し自分たちの誇りを取り戻すこと

 歴史を学ぶと言うことは、その時にあったことを学ぶことでだけではないと思う。その時代に何があったか、その時代の人が何を考えたか、色々と学ぶことでもある。私は、現在の多様化した価値観の時代こそ、歴史を学び、自分たちと違う環境での「その時代での知恵の働き」を知る。このような経験が重要ではないかと思う。現在のように、便利なモノが少ない、社会インフラもない、そのような状況で、生き残るために色々な考えを出し工夫した先人達の功績、これを見ることが大切だと思う。

 現在の歴史教育は、客観的な内容を重視し、結果だけに執着している。従って、「戦って勝ったのは誰だ」と言う話や、「XXは何年だった」という、年表に毛が生えた内容で試験が行われる。もう少しましな形になると「XXの理由は何か?」という形の記述試験になるが、それでも単純な因果関係に帰着する問題が多い。

 私は歴史を学ぶとは、

その時代を想像し、その環境でどのような考えで行動したか、自分をそこに置いて考える。

修行だと思う。

 歴史を物語としてみる。しかもその環境は現在と違う。例えば、弥生時代を考えると、鉄はとても貴重であり、農具としても限られた使い方になっただろう。このような状況での生活を考える。そこで、

「土地を耕す場合には、畑より水田の方が柔らかく作業しやすい。」
「鉄を使って木製の農具を作れば多くの作業ができる。」

等色々と想像できる。

 こうした先人の苦労を知ることが、本当の歴史ではないかと思う。

 こうして先人の知恵を知れば、彼らに対する尊敬が生まれる。そのような智慧ある民の子孫としての誇りも生まれるだろう。

 地域活性化には、その地の先人の智慧を知り、その子孫としての誇りを持つことも重要だと思う。

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