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2019年12月22日 (日)

知識と知恵の関係

 仕事が出来る人材について考えていると、知識の有無よりも知識を使う知恵の有無が大切だと改めて知った。誰かが作り上げたモノを知る知識、しかしそれを現実の世界に合わせて、使えるようにするためには知恵が必要である。また、実世界での体験に対しても、その中での因果関係や、創刊的な関係を見いだすためには知恵が必要である。

 一般に、学問の場では、知識を手に入れるとともに、その知識を生み出す先人の考えを知ることで、知恵の働きを知ろうとする。例えば、電磁気学の勉強では、静電気のクーロン力から、電磁気関係の経験法則を一般化し、数式的に記述できるようして行く.そして最後は、マックスウェルの方程式に収束させる。一方、別の流儀では、最初にマックスウェルの方程式を教えて、現実の現象を説明する問題演習を行っていく。

 この二つの流れでも、教えられたことを暗記するだけなら、知恵はつかない。しかし、何とか先人の考えを理解し、自分で説明できるようにすれば、知恵の働きが見えるようになる。

 さて、知恵については、大乗仏教が面白いことを言っている。

「転識得智」

である。大乗仏教は、私たちの考える意識の裏にマナ識・アラヤ識という大きな無意識の存在を考える。これを単なる情報の蓄積と考える状態から、構成する智慧に転じていく。例えば,全ての経験や宿業の入っている「アラヤ識」を

「全てを清らかに映す鏡のような、大円鏡智に転じる」

自我等から選ばれた「マナ識」は

「誰みが平等な機会を見いだす。平等性智に転じる」

私たちが考える「意識」は

「必要なよいモノを見いだす,妙観察智に転じる」

そうして,五感などの働きは

「実現するために、色々と努力する,成所作智に転じる」

と,与えられる知識から,自分が主体的に見いだし,作っていく智慧に転じていく。

 このような智慧が現在必要ではないかと思う。

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