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2020年1月24日 (金)

一般意味論と日本教の関係

 私は、20代の頃からS.I.ハヤカワらが唱える、一般意味論に興味を持っている。この分野の古典である、「思考と行動における言語」は何度も読んだ。一方、山本七平の日本教に関しては「日本人とユダヤ人」や「「空気」の研究」は読んだが、深く読んではいなかった。特に、「日本教の社会学」は今年になってから読み、色々と見えてくるモノがあった。

 さて、今回は両者の関係で一つ発見があった。まず一般意味論では

「地図は現地ではない」

が、基本原則である。これは、

「抽象化した理論の限界、欠点」

を指摘している。そのための処方箋は

「抽象の梯子を下れ」
「現実の多様性に向き合え」

である。

 さて、ここで日本教の信者ならこれはどのようなものだろう。私が見つけた答えは

「神様が必要な地図を与えてくださる」
「我々はその上で考えればよい」

である。なお、ここで「神様」と言ったが、日本教の場合には、キリスト教の絶対神とは異なり

「XXの神様」

は気軽に出現する。ただ大事なことは、他力依存の地図をもらって、その上でしか考えない大衆の存在である。

 これが日本教の特質ではないかと思う。

追記

 一般意味論の応用に関しては、以下の資料も見て欲しい。

 http://manabizz.c.ooco.jp/TsukaeruChishiki.pdf

 

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