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2020年1月11日 (土)

日本的な意思決定の成功

 昨日書いた日本文明の意思決定論について、今回は上手く働く条件を明らかにする。日本文明の意思決定は、聖徳太子の一七条憲法にもあるように『話し合い重視』ということで、多くの人が絡んでいく。そこで悪い例だと、

「責任の所在が不明」
「状況不適応でも変更不可能」

という事態になる。

 しかし、このような多数の意見を交えることで、

「見落としが少なく完成度が高くなる」
「当事者意識を育てる」
「主体的な参加が促進される」

という利点も生じる。さて、このような『多数による創造』のメカニズムについて、もう少し踏み込んで議論してみよう。

 ある問題について解決策を話するとき、まず問題になった事象について提示される。これは極端な事例も多いだろう。さてここで、今の学校教育や、MBA等の訓練を受けた人間なら

「その問題の本質を見いだす」
ことに注力し
「一般化した規則性などを発見する」

ことを目的に頑張るだろう。これを『西洋文明的な解決』とする。

 しかし、もう一つ別の道がある。そこでは、

「関係者が関連する経験などのストーリーを思い出すままに発言していく。」

という形で話し合いが進んで行く。こうして、事例を多く積み重ねていくことで、

「問題となっている事態の舞台背景が見え、典型的な登場人物が明らかになってくる。」

段階になる。このような舞台の上で、解決策を考えていくことは、多くの参加者の共感を得るようになる。登場人物の考え方などが、参加者の脳内に展開して、共感を得るようになれば、

「皆が納得する解決策に近づく」

ことになる。このように、

「種々のストーリーが収束して、舞台や登場物に結晶化していく」

作業は、多分クリエイター達の作業にも類似するのだろう。

 さて、ここで大切なことは、西洋文明的発想と、日本文明的発想の根底にある宗教的な違いである。

「西洋文明の根底にある、神の世界への到達不可能性」

「日本文明の根底にある、皆に存在する仏の力」

つまり、西洋文明は古代ギリシャでプラトンが『洞窟の比喩』で諦めたように、

「全体を知ることは人間にはできない」
従って
「部分的に厳密な理論を展開したら満足」

という形になる。一方、日本の文明には、

法華経など大乗仏教が説いた
「皆には仏の力がある。全ての世界を知ることができる。」

という信仰が根底にある。このように可能性を信じ、物語を展開しながら、本質的な答えを探す。これが日本文明のよいところではないかと思う。

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