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2020年1月 4日 (土)

日本語の会話について

 しばらく前に、ツイッターの上で、

外国の方
「日本語のアクセントを表記してもらわないと、『橋』と『端』などの区別がつかない。」
答え
「そうしたら方言でバラバラになって収拾がつかない。」

と言う議論をした。

 しかし、この話をゆっくり考えると、日本語の会話に関して、もう少し深い物が出てきた。まず最初に思いついたのは、

「私たちの会話には、漢字のイメージが入っている。例えば『橋』など。」

と言う感覚である。自分の感覚をもう少しモニターしてみると、耳で聞こえる音が、文字情報に整理されて、頭の中に入っている。この動きを見ると、文字と音声が同時に動いている。

「会話が音声だけでなく、文字の形を想像しながら進むから間違いがない。」

と言う発見であった。

 しかし、これはまだ浅い見方である。なぜこれができるのか、もう一歩進まないといけない。そこで解ってくるのは、

「日本語の文脈依存の高さ」

である。これが前提にあるから、

「今までの川の話から『橋』であり、道路走行の話なら『端』である。」

と判断ができる。文脈による判断力が一体になっているから、アクセント表記などで、個別の単語識別は不要になる。

 しかし、日本語がある程度国際化するなら、この問題はもう一度考え直すべきかもしれない。

  1. 文脈依存の少ない、『国際版日本語』を作っていく
  2. 『文脈情報を上手く伝えるコミュニケーション法』を編み出すのか

私は、日本のソフトパワーの伝達などを含めて、2.の『コミュニケーション法』創出がよいと思う。

この問題も今年よく考えてみたい。

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