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2020年1月22日 (水)

日本教の危機について

 山本七平の『日本教』について色々と読んでいくと、山本七平が見た世界が、現在にもまだ残っているような気がした。山本七平は、明治維新での「攘夷から開国」、そして戦後の「鬼畜米英からマカーサー万歳」などの手のひら返しや、「60年安保闘争」の空虚な面も見ていた。しかし、私の考えでは、これらの状況の裏には

「政府幹部などの情報独占」
「大衆に知らせないであおる」

という状況があった。例えば、日露戦争の後の講和反対の世論や、戦後の反アメリカ思想に関しては、政府の意図的な扇動も会った。一例を挙げれば、吉田茂が対米交渉を有利にするために、社会党等の親ソ路線を利用がある。

 ただし、このような政府のあおりがなくても、空体語の暴走で色々なトラブルがまだ発生している。例えば

  • 朝鮮民主主義人民共和国は理想の国、拉致などは右翼思想のねつ造である
  • 学校教育の場は神聖な場でありいじめなどはない
  • 教育の場は神聖であり体罰は適切なモノである

等の空気から、被害者が抑圧されていた。しかしこれらは、今世紀に入ってから、どんどん崩れている。この崩れ方に関して従来と少し違う面がある。

 まず北朝鮮拉致問題に関しては、小泉訪朝での事実が、北朝鮮理想論に「水を差し」て、大きく変わった。しかし、これ以降もネット社会の世論の後押しが、今までの空気撲滅に役立っている。一方、いじめ問題や、教師の体罰問題に関しては、事実をネット側が広げる形で追求し、

「別の『空気』が今までの『空気』を潰す」

状況になっている。このように『空気』の扱いが変化しているように思う。

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