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2020年1月17日 (金)

日本的な論理思考

 論理的思考に関して、このブログでも何度も書いている。

 まずは、三段論法の使い方について

 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_e3c4.html

 狭い意味の論理でなく、物語の使い方について

 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_0101.html

 類推などの総合的な考え方とその可能性について

 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-1edb.html

 仏教の顕教と密教の関係から

 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-1203.html

等がある。

 これを見直すと、西洋文明の

 A ならば B (IF A THEN B)

A AND B,A OR B

等の論理だけでなく、類推なども論理と考えるように広がり、さらに、物語的に色々な動きを確認する思考法まで考えるようになった。しかし、思考実験と言う手法は、ガリレオ以来、西洋文明の科学的議論でも色々と使われているので、『日本的思考法』とまではいえない。

 さて、今回は、山本七平(イザヤ・ベンダサン)の『日本教』での議論も考慮して、日本的思考法をもう少し明確にできないか、考えてみたい。

 まず日本的思考法の根底には、大乗仏教の深い影響がある。もう一つは、無邪気なまでの『お上への信頼』がある。実はこの両者が、見事に絡み合っているのが、日本的論理思考の基盤である。もう少し具体的に言うと

「私たちより優れた方が、世界を準備してくださる。
その中で、私たちは『あるべき姿』を求める。
その世界を私たちは想像し、その上での物語を
試しながら考える。あるいは比喩を使うこともある。」

という形が、私たちの納得のいく思考法である。

 このような『理想の世界』を造る方法は

「色々なエピソードを持ち寄り、それを重ねていくことで、
登場人物の人格や舞台背景である自然環境などを明確にしていく。」


するとあるところで、登場人物が自動的に動きだす。この動きを知っている人を信頼し、その人に従う。これが日本的論理ではないかと思う。

 なお、このようなエピソードの持ち寄りから、人格を創造していく方法は、大乗仏教の経典の手法でもある。例えば、法華経には色々な物語が入っているが、これを聞いていると、

「この世界を創造する仏の智慧が何となくわかってくる」

瞬間がある。更にその智慧を自分も持つことができる。これが大乗仏教の教えである。

 ここで、西洋文明と決定的な違いは、

「絶対的な創造者の智慧を人間でも持つことができる。」

と可能性を信じることである。プラトンの洞窟の比喩や、キリスト教の神とこれが違うので、日本の場合には

「絶対神への契約」

という概念はない。

 逆に、

「誰か完全な智慧を持って皆を救ってくれる人がいる」

という無邪気な信念が生まれている。このような考え方の人間が集まる日本は、西洋人には理解不可能な面があるだろう。

 日本教については山本七平の著作「日本教について:イザヤ・ベンダサン」を参考にしてほしい。

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