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2020年2月12日 (水)

深い穴を掘るだけの鍛錬であって善いのか

 昨日書いた、多様性の話に関連して、今朝のNHKの話でショックを受けたので、もう少し書いておく。

 今朝のNHKが取り上げた話は

オリンピックの空手の型選手が、琉球舞踊の膝の使い方を学んでいる

と言う話であった。

 これが、テレビで取り上げられたのは、

「犬が人をかんでもニュースにならない,人が犬をかんだらニュースになる」

と言う原則から、

「空手と舞踊は別」

と言う常識が育っているらしい。昭和の時代に育った立場では、

「空手の琉球舞踊は表裏一体、琉球舞踊の名手は空手もできる」

と言う常識をもっていた。もう少し踏み込めば

「沖縄では、武術禁止・武器禁止が厳しく、そのために素手の格闘技の空手が普及したが、空手すらも危なくなったので、琉球舞踊のなかに、体の使い方の極意を隠した。」

と言う伝説すらあった。

 このように,関連する物事の網をきちんと作らず、バラバラの専門家を育てているのが現在の教育ではないかと思う。

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