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2020年2月19日 (水)

評価されるということ

 ここしばらく、「怒り」について書いている。現在社会での「怒り」の原因の一つは、

「正しく評価されていない」

と言う思いである。

 しかしながら、『正しい評価』というものがあるのだろうか?この問題を、もう少し考えてみた。

 私の現在の考えは、

「絶対的に、『正しい』評価などは存在しない」
「その状況に対応した、相対的な『正しさ』しかない」

である。人間の能力も、状況対応で必要と不要が変わる。チームを組むときには、同じ面の人材ばかりでなく、異なった力が必要になる。その時には希少価値が力を発揮するが、その力が不要なときには邪魔者となる。4番バッターだけでのチームはできない。しかし、

「XX殺しのワンポイント専門」

は、XX引退で不要になってしまう。

 さて、今までの議論は、

「当然のこと」

と言う人が多いだろう。しかし、

「実行できているか?」

と言うと困った顔をする人が多い。

 さて、このブログで今年になってから書いている『日本教』の観点から、評価問題について一言指摘しておく。

「日本教の信者には、全て解っている人がいる、と思い込む」
従って
「正しく自分が評価される、と思い込む」

危険性がある.これは西洋文明の

「人間は所詮不完全」

の割り切りがないので、とても怖い話である。この危険性を明確に意識するだけで、少しはトラブルを避けることができるだろう。

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