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2020年2月25日 (火)

理想化した『社会』だけで考える人間の危険性

 日本の大乗仏教には『十界互具』という教えがある。つまり、

「仏の世界にも、地獄から仏界があり、地獄の中にも仏界から地獄がある」

と言う教えである。確かに

「地獄に仏」

と言うが、仏の『浄土世界』に、地獄があると言う発想は、なかなか理解しがたい。

 しかし、いじめ問題や犯罪被害者などの気持ちについて、考えていくときに少し解ってきた。

 このブログで何回か書いたが、

「現在社会は、『怒り』の感情を抑えすぎている」

状況にあると思う。確かに『報復の連鎖』が行われば、社会は不安定になり崩れるだろう。従って『復讐権』を一般人から取り上げて、司法の手に持って行く。これが現在社会の仕組みである。しかし、個人の感情はそのような理屈だけで収まらない。

 しかし、学校制度などでは、学校運営側の都合などで

「復讐心や憂身の心は悪い」
それどころか
「被害者にも隙があった」

等と押さえ込んでしまう。つまり、

「教科書に書いてある、『理性的行動』を取る人間に当てはめる」

ことで、組織運営ができるようにしていく。このように無理に押さえつけれた人間は、感情のエネルギーの吐けどころがなくなる。この押さえ込む体質になると、激しい感情にも押さえ込むようになり、鬱病になることも少なくない。この問題は現在社会の重荷になると思う。

 さて、最初に述べた、

「仏の世界にも地獄を観る」

と言う議論は、

「仏は世界全てを創造する力がある」

と言う観点で見ると、新しい解釈ができる。つまり

「世界にいる人間には、仏の心のある人間もいれば、地獄の心を持った人間もいる。悪事を行う人間もいれば、それに足して復讐心を燃やす人間もいる。」

と言う、

「心の多様性に向き合い、その上での皆の幸せを考える。」

力が本当の仏の力ではないかと思う。

 理想的に、『何でも許す人間』しか生存を認めない社会になっている現在は、多くの鬱病患者を生み出している。この反省ができていない。

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