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2020年2月13日 (木)

心の闇と綺麗事の関係

 人間の心には、色々な闇の面がある。この扱いについて少し考えてみた。まず、今の学校教育などでは

「正しい行動を取る子供を育てる」

と言うことで、

「闇の部分がない」

と言う発想で考えている。いわゆる

「綺麗事の世界」

である。しかし、人間には、色々な行動や考えがある。そうして

「傷つけられた経験、それに対する恨み」

等の闇の部分が出てくる。このような、闇の部分を無視して

「綺麗事だけで世界を考える」

是非を考えてみた。物作り、特に設計や開発をした経験者なら解ると思うが、更地でモノを考え出すときには、

「まず理想的な正常機能を動くようにするための本体を作る」

段階から始まる。この段階で色々な冷害を考えると収束しなくなる。しかし

「一度全体像ができれば、例外を考え色々と揺さぶり、それに耐えるように丈夫にする」

段階を経由しないと製品として売ると後でトラブルの山になる。

 この発想は社会的なモノでも同じではないかと思う。

 仏教では、六根清浄になれば、仏の世界が見えると言う。つまり「綺麗事の世界」で全体像を見る。しかし、仏は

「十界互具で、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏の全てを観る」

力で、地獄の心まで見ている。

 このように全体像を作るための「綺麗事」と、現実の多様性を見て「闇の部分の対策」の両面を扱う、本当のリーダーが必要になってくる。

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