『正義』の『日本教』の元での暴走
ヘイトスピーチ問題、SNS上での追及問題、これらのなかには
「自分は『正義』を行っている」
と言う思い込みのある人間がいる。このような人種が出てくる一つの理由は、
「国会等の政治家の一方的な追求」
「知識人と称する人種の反対派への追求」
をみて、まねしているからである。
しかし、もう一つ『日本教』の立場で考えると
「『日本教』信者の『正義』の追求は危険性が高い」
と言う議論が必要である。理由は
「『日本教』の信者は、正しい真実を人間が知ることができると信じている」
特に
『自分の信じ込んでいるモノが『絶対的な真実』と信じる」
傾向がある。例えば、山本七平が描くように、2・26事件の首謀者達が、
「天皇陛下や軍幹部は解ってくれる」
と思い込み行動を起こしたのである。彼らにとって、
「昭和天皇が怒って近衛師団を率いて討伐する」
等の事態は思いもよらない。
さて、『日本教』の信者でないなら、どのような行動になるだろう。西洋文明の場合には
「人間の知恵は神の智慧に遙かに及ばない」
つまり
「人間は完全なモノを知らない」
と言う前提があるので、『正義』の遂行に当たっても
「神との契約の元で行う」
つまり
「明文化した範囲で行う」
と言う歯止めがある。
このような、『日本教』の暴走も感がないといけない。
« 「念仏」の意味について | トップページ | 『日本教』の影響下での社会分断について いわゆる『高学歴者』の思考限界 »
« 「念仏」の意味について | トップページ | 『日本教』の影響下での社会分断について いわゆる『高学歴者』の思考限界 »
コメント