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2020年3月13日 (金)

6世紀の仏教の修行法

 天台の『摩訶止観』を読むときには、天台大師が説法した六世紀の世界を思いやる必要がある。現在、私たちが当たり前と思っていることが、その時代にあるかよく考えてみると、現在の私たちの物の見方のひずみが見えてくる。

 当時の環境を考えると、紙は貴重品であり現在の学校教育はない。つまり、教科書もないし、ましてや懇切丁寧に説明した参考書なども存在しない。逆に、仏像を作る手間が、絵画での伝達と比べてても、それほどの負担ではなかった。また手書きで経典を写す手間も大変だった。この状況を考えると、教えの伝達に仏像の力が大きな意味があると解る。現在なら、『慈悲』という概念は、まず言葉による説明で伝える。このために、教科書などの道具がある。このため、

「私たち現代人は、学校教育で身についた思考法に縛られている」

ために、それ以外のモノが見えなくなる。例えば、近代科学的発想の一つ、ガリレオの

「測れるモノは測れ、測れないモノは測れるようにしろ」

の後ろには

「数値化できないモノは見落としてしまう」

と言う危険性がある。

 これを、六世紀の修行と比較してみよう。当時の知識では、

「科学的な知識による因果関係」

は私たちと比べれば、ほとんど持っていない。

 そこで、彼らが修行で得ようとするモノは何か?一つは

「仏の智慧を得て、この世界の苦しみから解放される」

ことである。そこで『仏の智慧』とはどのようなモノであろうか?

 この答えは、法華経にある。一つ目は、十如是の教えである。諸法の実相は、

相(外見)、性(本質)、体(構成)、力(潜在力)、作(働き)
因(直接の原因)、縁(間接的な影響)、果(直接的な結果)、報(間接的な影響)
が、本末究竟(総合的な作用している)

であり、このような複雑な相互作用を観るのが、『仏の智慧』である。大乗の教えは

「この智慧が、我々衆生にもある」

と説いている。

 そこで、このような智慧を自分で体感することができるだろうか。

 天台の摩訶止観が説く『円頓止観』は、全体像を描くことで、このような複雑な絡み合いを、観る智慧を体感させようとしている。その一例は

「心・意・識の三者は、一つではないが、三つバラバラでもない」

と観ることである。自分の心の中の感情が、意識の世界とどのように関わるか、別なモノでもないが一体でもない。このような、

「西洋文明の科学的思考法では矛盾」

を、全体像を見ながら体験する。

 この修行は現在こそ必要ではないかと思う。

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