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2020年3月 3日 (火)

社会の分断を招いたのは誰か?

 今朝の朝日新聞を見たら、(争論)ネットが社会を分断?と言う記事があった。偉い大学の先生達の議論なので、謹んで読ませていただいたが、その中で分断の理由の一つに

「相手を論破しようとする」

傾向があるという指摘がある。これは確かに、現象的にはそのような、『論破』の試みの後、自分の意見に賛同するコミュニティに入り込み、分断が進むという傾向はある。

 しかし、この原因をもう一歩踏み込んで議論してほしい。なぜ『論破』にこだわるか、この議論が必要だと思う。

 私がこの記事を見て、笑ってしまったのは、『争論』という言葉が示すように、この記事構成が対立した意見を述べ、しかも

「お互いが相手より正しい」

と言う、『論破』の形になっていることである。この記事を見ても、相互の歩み寄りなどが見えてこない。

 こうして、社会の模範になるべき、大学の先生達が、お互いに『論破』使用とする姿を見せる。これを見て、まねをする人が出てくる。特にネット社会ではSNS等で、情報発信のハードルが低くなっている。この状況を考えると、『論破』したがる人間は増えてくると思う。

 この問題に対して、一部の知識人達からは

「博士課程の訓練を受けていない『低学歴者』は、黙って我々『高学歴者』の言うことを聞け」

と言う、論争資格を制限する向きもある。確かに、ヴィーコが指摘したように、学問の方法として、『聴講生』段階を重視し、論争方法を理解した人間だけに発言を許す制度はあると思う。

 しかし、現在の一部知識人の言い方は、

「分断を招く」

発想ではないかと思う。

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