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2020年3月17日 (火)

実用的でないものが尊ばれる

 昨日書いた、薬師信仰の現実主義に関して、

「戦前の日本では,功利主義や実用主義はほとんど思想として認められなかった」

と言う部分について,もう少し議論しておく。

 まず、戦前の日本という限定なら、この問題の原因は比較的明らかである。つまり、

「西洋文明を伝える学者様は、実現の細部などの下々のことは知らなくてもよい」

と言う発想である。例えば、工場などの物作りでも

「大学卒の設計者が概要を決める。それを現場の職人の技で実現する」

と言うことで

「実用化する匠の技」< 「高学歴者の思想」

と言う評価図式がある。極端に言えば

「英語が読めて、外国のお手本を紹介する人が偉い」
「実現するのは下々」

と言う図式である。

 しかし、これは戦前日本だけだろうか?

 私は,もっと深い理由があると考える。私の仮説は以下の通りである。

  1. 日本人の発想は,指導者に現実の解決を求める(実用主義)
  2. しかし、現実論として「指導者に解決できない問題」は存在する
  3. そこで、「指導者ができない」と追求すると指導者交代になる
  4. 指導者交代による混乱は、現状より悪くなる
  5. 従って、「実用的な答え」を求めないで黙っておく

と言う,「現実主義」的な発想があるのではと思う。

 この話、「なぜ安倍政権が続くか」という議論にも使えそうだな(笑)。

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