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2020年3月24日 (火)

本当の修行とは?

 先日、日蓮宗のお寺の春の彼岸の施餓鬼法要に行ってきた。コロナ対策と言うことで

「本日は黙読」

と書いてある。お経の黙読は解る。この寺では、百日行の経験者がお経を唱えるから、一般の信徒では口が回らないようなスピードでお上人達が、唱えるのを、黙読で追うことしかできないことが多々ある。

 しかし、お題目の黙読は聞いたことがない。そこで失礼ながら

「お題目も黙読ですか?」

と質問してしまった。お上人は、

「本日は全て黙読です」

と平然と説明された。

 私は、

「南無妙法蓮華経」

と腹の底から声を出して唱えるとき、全身で起こるモノを味わえないのでどうなるかと思っていた。

 しかし、唱題行が始まると、力強い太鼓の響きが伝わってきて、

「これも唱題行」

と言うことが解った。

 しかし思い起こすとこの寺では、

「お題目を唱えることは、霊鷲山でお釈迦様が法を説いている姿を観る修行」

と前から説いている。

 このように考えると、声を出して唱えることにこだわる必要が無い。

 口先だけのお題目と、本当のお題目の違いを解らせてくれた。

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