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2020年3月19日 (木)

平安時代の仏教からわかること

 先般から書いている、昔の仏教の話に関連して、平安時代に起こった変化についてもう少し考えてみたい。従来から言われていた、平安時代の仏教の変化は、空海・最澄の唐からの正統的かつ最新の教えの伝来である。

 しかし、空海は既に、唐に入る前に密教修行を行っていたし、最澄も止観の修行を行っていた。これを考えると、

「遣唐使による文化交流で新しい仏教が日本に伝わった」

と言う表現が、正しいのだろうか?確かに

「曼荼羅や多くの経典により、体系的な仏教が伝わった」
「国家としてそれを受け入れた」

と言う言い方はできるだろう。

 ここで、一つの新しい文化が、導入されて成功するヒントがある。それは、

「既に部分的にいくらかの先駆者が触れている」
「彼らの支持者は存在するが多数派ではない」

と言う土台があると

「一気に新知識の体系を持ち込み、既存の活動などをまとめ込む」
「これで爆発的に普及する」

と言う手法である。今までモヤモヤとして持っていた者が、全体的な図式を見て整理されると、ブレークスルーを起こして一気に解決に至る。このような状況がある。

 新技術の導入などに考えるべき手法である。

 この応用として、新技術普及時に

「従来行っていたことも、新技術の不完全な利用で、あなたも先駆者です」

と言って、巻き込む手法も有効である。

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