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2020年3月 6日 (金)

善悪の天秤

 天台の摩訶止観を読んでいて、今までの自分の心への向き合い方が、浅かったと言うことがよくわかった。法華経で言う

「深く罪福の相に達して」

と言う意味が、ようやくわかったと言うべきだろう。大乗仏教では

心:感情等の全て
意:考える舞台(考慮すべき物事で心から浮かぶ)
識:意の上での判断、識別

の三者をきちんと分けて、しかも相互の深い交わりをみる。三者であり一でもある。

 こうした考えは、いわゆる『理性的意識』しか考えない、今の教育の毒された人間が、根本を見直す契機となる。

 しかし、ここで大事なことは、深い心の底を揺さぶったとき、『パンドラの箱』を開く可能性がある。昔の恨み、怒りなどの感情を、理性や社会制度で抑えつけている時、これが爆発したら、自らを支えきれない可能性がある。逆に、自分の罪を認めて、責めすぎると、最悪自殺にまで至ってしまう。

 ここで大乗仏教の智慧をもう少し見ないといけない。法華経では

  仏知見を開き清浄ならしめる 仏智見を示す 悟らせる 道に入れる

と言う段階で、人を導いている。最初の仏の力を示し、安全を確保する。その上で、自分の心の中の地獄まで見ていくようにする。このように、先に救いを示し、その後で罪や恨みに向かわせる。

 このような仕組みが、善悪の天秤のバランスを取って、深く心に入っていけるようにする。

 ありがたい教えだと思った。

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 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-246ede.html

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