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2020年3月15日 (日)

平安時代までの仏教について

 今回のコロナ騒動に関連して、

「昔なら神仏にすがっただろう」
「薬師如来の信仰がある」

と考えた。現在のように科学的な医学知識や,医療技術が無い時代なら、神仏を拝むことが対処法の一つだと思う。

 そこで、病気なら

「お薬師さま、薬師如来にお願いする」

と言うのが一つのすがり方だと思う。例えば、天平時代などには、

「行基菩薩による薬師如来信仰」

が広く大衆に広がっているし、国の政策としても薬師寺など多くの寺院が建てられている。

 特に注目すべきは,比叡山延暦寺である。大雑把な歴史理解だと

「最澄は、遣唐使に従い唐に留学し、多くの仏典を持ち帰り、比叡山延暦寺を開いた」

と言う表現となっている。さて

「延暦寺のご本尊は?」

と言う質問に答えられる人はあまり多くない。正解は薬師如来である。これは、単純に納得しては困る問題である。なぜなら

「法華経を重視した、最澄がなぜ薬師如来をご本尊したのか?」
「法華経の中に、薬王菩薩が出ても薬師如来は出てこない」

と言う突っ込みがある。

 この問題の一つの答えは、比叡山の由来にある。つまり

「最澄は、唐に行く前から、比叡山で薬師如来を観る、止観の修行を行っていた」

であり、

「唐から帰ってから比叡山を開いた」

のではない。もう一つ言えば、

「最澄は、唐に行く前から『止観業』を行っていた」

と言う点も注目すべきだろう。

「空海は、唐に渡る前に、既に密教修行をしていた」

と言う話は、多くの人が知っているが、

「最澄も既に天台大姉の説く『止観業』を修行していた」

と言う話も併せて知るべきであろう。

 当時の『和魂漢才』は、このように

「日本で既に修行して自分の土台を作り、その上で唐の文明を移植する」

形で行われた。

 延暦寺の僧侶の位置を見ると、法華経の説く

「大地から湧き出る菩薩」

が実現しているのがよくわかる。しかし、法華経に忠実なら、

「ご本尊はお釈迦様」

でないとおかしいが、それを今までの自分の修行に合わせて、お薬師さまにする。この融通が日本文化の特徴だと思う。

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